座敷童子

番外編SS 「はじまりのゆき」


それは、何の始まりでも、終わりでもなかった。
すでに過ぎてしまった事実と、痛いほどの悲しい思い。
少し寄り道をしてしまっただけなのに。
どうせは同じ場所に辿り着くというのに。
だけど、それを誰も知ることができないから、誰も彼の手を引けない。
自分で自分の手を引くということは、自分の知っている道しか歩けないということ。
自分が今見えている道しか歩けないということ。
その結果、彼は遺された者に何を伝えられたというのか。
彼女も、彼の足跡に自分の足跡を重ね、同じ道をたどる。何の迷いもなく。
そして、たどり着いた場所は寄り道をする前に歩いていた道。
遅すぎた。


父の手を引けなかった。
悲しむ父の後ろ姿を見送ることしかできなかった。
手を引けなくてもいい、何かそこに言葉があれば、進み行く父を振り返らせることくらいはできたかもしれないのに。
無力だった。

 

とても寒い冬の日、父に貰った小さな弓。
幼かった私はその弓の使い方も、使い道も、自分が手にする意味すらも知らなかった。
さかさまにしてみたり、指ではじいてみたり、まるでおもちゃを扱うかのようにしていた。
遊び道具ではないのだから、楽しいはずがない。
だけど、父がくれたということだけで、私は胸がいっぱいだった。
寡黙な父の、贈り物。
そこにどんな想いがこめられていても構わない。
たとえ何かを殺めることになったとしても、父がそう望むのなら。

毎日、どこに行くにもその弓を持ち歩いていた。
とはいっても、私の行くところなんて大抵決まっている。
境内の周り、神社の山奥、お爺様の家の近く。

その日、父様が私の手を取り、弓の使い方を教えてくれた。
それは、たったの一回。
言葉のない、手解き。
子供に理解できるはずのない構え。

自分以外の誰かに、ものを教えるための手段。
それは言葉でなくたっていい。

自分以外の誰かに、思いを伝えるための手段。
それは言葉でなくたっていい。
だけど、言葉にしないと永遠に伝わらないかもしれない。

私の手に重なった父の手は、とても冷たかった。
触れられたら、人間の体温などすべて奪われてしまうのではないかと思えるほど。

父は、私になにを伝えようとしていたのだろう。

私の手から父の手が離れ、矢が空にむかって放たれていた。
灰色の空に吸い込まれていく矢。
そして、雲を突き、砕けて散らばるように雪が、落とされた。


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部屋の真ん中で、ろうそくの薄暗い灯りが点っている。
真冬の冷たい隙間風が、どこからか吹きこぼれていた。
一人の少女と、一匹の猫。
ずいぶんと使い古した布団。それでも、長い間大切にしているようだ。
ところどころに見える地のものと違った、つぎはぎの布の模様がどことなく可愛らしい。

時刻は零時を少しだけ過ぎたところ。
意識していなかったのだが、勝手に口から飛び出した「さむい」の言葉。
さすがに山奥の冬は下と違ってかなり底冷えする。
隣では体を丸めた猫が背中を上下させて眠っていた。
……といっても、犬ほどの大きさがある猫だが。
少女は、そんな妹の姿を見ながら、ふう、と浅く息を吐く。

(もうちょっとここも防寒対策をしたほうがよさそうだな…)

本当は妹ともう少し話をして眠りたい気分だったのだが、
この寒さではそんな余裕などないのだろう。

 

「もこもこの毛皮をきているくせに」

 

つん、と妹の手を突いてみる。
ぴくっと動くだけの反応だった。
さらに、つんつん、と突いてみる。

「あ」

嫌そうに手を引っ込めてしまった。

(つまらないやつ…)

「…ん」

ふと、何かを感じて寝転がったまま手を障子へと伸ばす。
寒いので少しだけ開けたところで…

「きたか」

闇に、ひらひら、ひらひら。
人が寝静まったこの時刻、静かに舞い落ちる。

 


ひらひら、ふわふわ。

 

「あら、雪ですね」
「秋乃…お前、寝てたのでは」
「お姉さまがつんつんなさるんですもの…眠れませんでした」
「あっはっはっ」

「明日の朝には…積もっているとよいな」
「まあ。お姉さまからそんな言葉を聞くなんて」
「おかしいか?」
「おかしいです」
「どこが?」
「昨年は、『雪道を歩くのが嫌だ』と言って、お一人で内に引きこもっていたと聞きましたよ?」

ああ、そういえばそんなことを言った気がする。
お爺さまに、「家に来い」と誘われたとき、私はそう言って誘いを断ったのだった。

でも本当は違う。
あの家はとてもあたたかい場所だ。
優しい人たちがいる。
きっと私を迎えてくれる。でも、怖い。
私と父様の意地で、あの罪も無き者達を避けていた。
避けるだけならまだしも、攻撃すらした。
それなのになぜ?
あの者達は、私に対して憎しみで反撃しようとはしない。
あまたの言葉による胸に突き刺さる暴力などより、
すべてをやさしく包んでくれる慈悲深さのほうが私にはつらい。

それは、裏返しをしたときの、どす黒い存在を頭から拭いきれないから。
すべてが悪の種ではないと信じながらも、おびえてしまうから。

みんな裏の部分を持ってる。
だからみんな悪い人。

そして、それを作り出していたのは私自身。
見えないものが見える、あるはずのものが見えない。見えないふり?
見えないのに見たような、そんな錯覚。

父様は、私になにを伝えたかったのですか?
私にはわかりません。
だけど、父様が本当にしたかったこと、みんなに伝えたかったこと、
かわりに私が、伝えます。
きっと、父様にも伝えます。

……伝えられるよね?

「今年は積もってよいのですか?」
「今年は良いのだ、一人ではないからな」
「はい♪一緒に雪だるまでも作りましょうか?」
「うむ。それもいいな。だが、どうせなら…そうだな、……」

小声でそっとつぶやいてみる。
笑われるかな、と思ったけど、秋乃は幸せそうに微笑んでくれた。


「今年は爺様のところのみんなと…遊びたいな」

 

 

 

 

 

おわり

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