座敷童子

第十三話「日常と過去」

「透さんは、今日は何か予定あるんですか?」
「今日?」

それは洗面所で顔を洗っていたときのこと。
さらが新しいタオルと古いタオルを交換しに来てくれた矢先の会話だった。
新しいタオルを手すりにひっかけてから両端を引っ張り、綺麗に整えたさらが、満足したような
顔で話しかけてきたのだった。

今日は、俺がこの数奇な家に来てからちょうど一ヶ月経った日だ。
夜中に繰り広げられるあんずや時子の宴会、庭の蟻捕獲にいそしむさら、そして、狭い教室で
行われる塾の夏期講習。
そんな日常にやっと慣れてきた頃だった。こんな生活でも日常という言葉にしてしまえば楽しい
ものだ。少なくとも前の生活よりは。
そういえば姉さんは相変わらずぐうたらな生活を送っているようで。
ただ母さんに聞くところによると、家の庭にある倉庫から法律の専門書を引っ張り出してきて時
折読んでいるらしい。
そんな姉を「きっと弟がいなくなって暇になったのね」と母さんは言う。

そんな感じで、壁からにゅっと出る顔や手も、階段に徘徊している蟻も、すべてが日常になった
何気ないこの日。そんな日のさらの言葉だった。もう一回頭の中でリフレイン。

「透さんは、今日は何か予定あるんですか?」
「今日は・・・」

さらさんがこんなハッキリしたことを聞くのは初めてだった。
いつも「蟻さん知りませんか〜」とか「お米、焦げました」とかなのに。

「透さんは、今日は何か予定あるんですか?」
「え?」

あれ、頭の中でおさらいしてないのにまた聞こえた。
おかしいな

「透さんは、今日は何か予定あるんですか?」
「!」

さらさんが自分の口で同じセリフを繰り返しているんだ!!

「透さんは、」
「あ、はいはい、わかりました!聞こえてますから!」
「そうでしたか」

やっぱりいつものさらさんだった・・・・。

「今日、ちょっと散歩に行きませんか?」
「え?」

でもその口から出てきたのは思いがけない言葉だった。
これってもしかして、誘われてる・・・!?

「他に用事があるなら良いんですが・・・」
「え、ああっいや」
「お暇ですか?」
「は、はい、まずまず暇です!」
「そうですか、じゃあお昼に玄関で待ってます」
「は、はい」

さらさんは返事した後は意外にあっさりと立ち退いていった。

(でも散歩ならみんなと行けば良いのに・・・)
そんなことを考えつつ、新しいタオルで顔を拭く。
タオルは太陽のにおいがして暖かかった。

居間に近づくと、良い匂いが鼻をかすめた。
(今日の朝食当番は時子さんだったな)

「おはようございます」
「あ、おはよー、とーる」

すでにあんずが席について朝食を待っていた。
というより、全員そろうのを待っていた、というべきか。
部屋を見回し、空席を四つ見つけてから言う。
「えっと・・・じいちゃんは?」
「んー?」
「じいなら外で遊んでたわよ」

しゃもじを持ったまま時子が答えた。
その手には大盛りのご飯がつがれている。
(あれはじいちゃん用か・・・?)

「庭で遊んでた・・・って」
「遊びと言うではない」

そのとき、後ろにある居間の引き戸が開いた。そこから顔を出したのは桂じいちゃんだった。

「私は鯉と話をしていただけだぞ」
「・・・話!?」
「朝の挨拶だ」

そうして、桂じいちゃんはゆっくりとテープルに近づき、時子が運んでくる朝食をしげしげと見
た。

「今日の朝食はプリンか?朝からプリンとは驚きだな」
「じい・・・それはプリンじゃなくてスクランブルエッグよ」
「同じ卵だから良いじゃないか」
「良くないわよ」

やがてさらが遅れて部屋に入ってきた。
さっきのことがあるのでなんだか不思議な気分だ。

「あら、みなさんお揃いだったんですね〜私ったら、また蟻さん数えるのに夢中になってしまっ
て・・・」
「気をつけたほうが良いわよ、さら〜あんたそれでいつのまにか寝てたりするんだから」
「そうですね」
「ねー早く食べよ〜よ〜」

あんずがまだ立ったままのさらを急かす。
こんな感じでいつもの朝食は始まる。


朝食が終わって自分の部屋に向かう。
(なかなか胃にくる朝食だった・・・)
最初のスクランブルエッグに続き、カツが来た。レバニラが来た。味噌汁はトン汁だった。
ご飯は玄米を使ったものだった。
(何かあっさりしたものが食べたいが・・・冷凍庫のアイスを食べるとあんずが怒るし)
そんなことを考えながら階段を上り、部屋に着いた。

しばらくは塾の宿題や今度の授業の予習なんかのために参考書をぱらぱら見ていたのだが、
ふと窓からのぞいて見えた空がやけに青く澄んでいて、憎らしくなった。
同時に勉強意欲が恐ろしいほどスッと抜けて、気がついたときには立ち上がり、階段を降りて
いた。

下に行くと縁側であんずが本を読んでいた。

「あんず」
「あ、とーる」
「何を読んでるんだ??」
「これはね〜おののこまち、だって」

どうやら小野小町の伝記を読んでいるらしかった。
まだ年は小学生だというのに、古典に興味を持つとは・・・なかなか珍しいな、と思った。

「小野小町、どんな人だった?」
「んーっとね、たまごっちを作ったんだって」

なんか違うぞあんず・・・。

それでもあんずは「おののこまちって美人なんだね〜」とか言いながら本を読み続けていた。

縁側からふと庭を見ると、時子さんの姿が見えた。
時子さんは大きなカゴに詰まった洗濯物を竿に引っ掛けていた。

「時子さん」
「あら、透くん?」
「部屋で勉強しているのも疲れたので下に降りてきちゃいました」
「珍しいじゃない♪透くんの年頃のコは外で遊んだほうが良いのよ」
「そ、それは小学生に言うせりふでは・・・」
「あれ、違ったっけ」
「自分は中学生です!」

時子さんはあははは、と笑い飛ばしてから、また洗濯物を干し始めた。
こうやって見ると、カンペキに主婦に見える。そういえば時子さんって何歳なんだろう・・・
怖いから聞かないようにしているのだけど。

そして・・・

玄関に行くと、そこには花瓶を持ったさらさんがいた。

「あれっ」
「あら、透さん」

待ち合わせまで、まだ時間があったと思ったんだけど・・・・

「さらさんは何をしているんですか?」
「花瓶のお花を摘みに行こうと思っていたんですよ」
「花を?」
「でも、そういえば透さんと一緒に散歩に行くんでしたね。そのときで良いですよね」
「そうですか、お邪魔になりませんか?」
「まったく。」

なんか今日のさらさんはいつもと違う・・・
いつもならちょっと電波を受けた感じの発言をするというのに。

「さらさん、」
「そうだ・・・今からもう行っちゃいましょうか?ね、そうしましょう」
「え」

さらさんはそう言うと持っていた花瓶を置き、両手で俺の腕を掴んだ。

「天気も良いですし、ね」
「あ、はい・・」

さらさん、どうしちゃったんだろう・・・・。

玄関を出ても、腕を掴んだまま一向に離す気配がない。
森の中に入り、木々の間を抜けても抜けても、さらさんは腕を掴んだままだった。
まるで、絵本の中に出てくる王子様とお姫様のように。
いや・・・それはちょっと美化しすぎか。
童話の中の少年と少女にしておこう。ヘンデルとグレーテルのような感じだろうか。

甘いお菓子の家を飛び出した二人は手をとって森の中へ。小石を目印に家へと帰る。

小さい頃に読んだその童話が頭の中で描かれる。
なんとなく主人公になった気分で走り続ける。

あの家と、この家、どっちが魔女の家?
甘いのはどっちだろう?幸せなのはどっちだろう。

(ハッ)

しばし妄想の世界へ吹っ飛んでいたみたいだ・・・
まあたまにはいいだろう。

すると、さらさんがふと足を止めた。
遠くを見つめたまま動かない。それでも掴んだ腕はそのままに。

「さらさん?」
「このあたりが・・・その場所です」
「?」
一本の木を目の前にして、さらさんはそう呟いた。

「もうしばらく来ていなかったから・・・覚えていませんが」
「何の場所なんですか?」
「今の私が生まれた場所です」

森の中で生まれたのだろうか。

さらさんはそっと腕を放し、一本の木に触れた。それが何の木だかはわからなかった。
怖いくらいに周りは静かで、あちこちから視線が飛び交っているような気配がした。
それは人間の視線ではない。自然の視線だ。

「お久しぶりです・・・」
「・・・」

こんなさらさんは初めてだった。
いつもは蟻を踏まないように足元ばかり見ているのに。

「透さん、そろそろ私、お話しても良いと思ったんです」
「え?」

この場所についてから、初めてさらさんの視線がこちらに向いた。
いや、目はこっちを向いているが、意識はここにはないようにも感じられた。

「私が普通の人ではないということは、わかっていましたよね」
「はい」
「でもあんずさんや時子さんみたいに座敷童子じゃない」
(やっぱり・・・それは事実だったのか)
「だからといって、透さんや桂さんみたいに一族の運命を背負っているわけでもない」

風が通り過ぎた。木がいっせいに揺れる。
どうしてこの場所には音というものがないのだろう。葉が揺れたというのにこすれる音がしな
い。
風が吹いたというのに風の音がしない。
そしてさらさんの声だけがこの風景の中にあった。
まるで、さらさんだけがすべてを知っているかのようだった。

「だけど、透さんと私は同じようなものです。私はこの先何百年も行き続けます」
「若返りではなく?」
「はい。そうです」

そうして、さらさんはゆっくりとその話を始めた。

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