座敷童子

第十五話「 三つの修学旅行 」

「じゃあ行って来ます」
俺は答える人もいない玄関に向かい、一人そう言い放った。
がらんとした日本家屋の玄関。そこから長く続いている廊下の果てをじっと見れば、何かが見えるような気がした。
ためしに見てみる。
「…………」
まだ見続けてみる。
「…………」
しかし、何も見えない。
諦めてさっさと外にでようとしたが、気配というのは自分が背を向けた瞬間に感ずるもので。
今だ、と言わんばかりに勢い良く振り向き、廊下の果てに焦点をあわせてじっと見てみる。
「…………あっ」
顔があった。
廊下の果てよりも少し手前の壁から、それは出ていた。
「いってらっしゃあい」
その顔は口からその言葉だけを言い捨て、再び壁の中へと消えていく。
そして、俺は誰にも聞こえないようなくらいの小さな声で返した。
「いってきます」

 

閑寂な森林を歩いていく。
この森の出口までは今から数えておよそ一時間かかる。走ると少しは早くつくかもしれないが、間違いなく迷う。
俺がここに越してきてからまもなく、桂じいちゃんが「迷わないように」と案内のしるしを出口まで木につけてくれた。
それを一つずつ確認しながらゆっくり歩かなければならない。

「何かもっといい方法はないのだろうか……」

そう、たとえば出口に、くいを立ててロープを巻きつけ、のばしたロープの先を自分の体に巻きつける。
そして、森の出口まで行きたいときにそのロープをたどっていけばいい。

「……いったいどのくらいの長さのロープが必要になるんだろう」

そうでなければ体にカーナビでもつけてみるか。
『次のブナの木を、左です』と、音声で道を教えてくれる。
「こんな辺鄙な森に対応しているカーナビなんかないか……」
確か桂じいちゃんは車の免許を取っていたはずだ。車だって持っていたはず。
可愛い孫に森の中を歩かせるなんて、なんてこった。

「だいたい、最初の頃はじいちゃんやあんず、みんなで朝食を食べてみんなで見送りしてくれたのに、
一ヶ月たった今じゃみんな朝寝坊で俺だけ孤独に朝食だ」
おかげさまでまだ寝ているみんなの分の朝食まで作らなければならなくなった。
時子さんも料理はできるようだが、味付けがとてつもなく塩辛い。
あんずはまだ子供だ。じいちゃんと二人でやればまともなものも作れるかもしれないが、肝心のじいちゃんが一番のねぼすけさんだった。
さらさんは最近になってようやくご飯が炊けては来たものの、向上心がないのか天然なのかご飯を炊くこと以外のことはしようとしない。
今までどうやって生きてきたのかが不思議な住人たちだった。

そんな文句をぶつぶつ言いながら歩き続けていると、ふと人の姿らしき影が目に飛び込んできた。
何か作業をしているらしい。その姿は近くに行って確認するまでもなかった。すると、その影は作業していた手を止めて俺に近づいてきた。

「よ」
「お早うございます」
「もうそろそろ遅刻してもよくない?」
「何を言ってるんですか」
「ふふ」
そう言って笑うのは紫蘇さんだった。
紫蘇さんは毎日、朝食のために早くから山に山菜を取りに下りてくる。
その時間と俺が塾の夏期講習に行く時間がうまく重なっているのか、ばったり会う事もしばしばであった。
もう二週間前からそんなことが続いている。毎日顔をあわせること。それがいつまで続くか二人は勝負していた。
「言っておくけど私は絶対に寝坊なんかしたりしないわよ」
「俺もいちおう学校では優等生です。遅刻なんかしませんよ」
「ふふん。お子ちゃまね。キャリアの差というものがあるのよ。私はこの生活を十年以上続けているわ」
「毎朝六時に体が起きる、このうまれつき持った体質には勝てないですよ」
俺は鼻でかすめた笑いをしてみせた。
「ずいぶぅんと強気ね……。その体質、いつまで続くのかしらね」
紫蘇さんも負けずに鼻で笑ってみせる。
手にはたっぷり採られた山菜を摘んだカゴがあった。山菜といっても俺には毎日同じ草を採っているように見えるが。

「ほら、早く行かないと本当に遅刻するわよ」
「あ、はい、そうでした」
俺は紫蘇さんの横を走って通り過ぎていった。その様子を見て紫蘇は少しだけ微笑む。
「さ、朝食の支度だ」

森の出口までは一時間。
ちょうどそのくらい経った時間に俺は町の駅にいた。電車のベルもならない無人駅。
夏なのにひんやりとした空気が肌をかすめる。
電車の到着時間に合わせて家をでたので、待ち時間はそんなに長くない。
ベンチに座ってから十二分。電車が駅に入って来た。

くるくるとせわしなく首を動かす扇風機。がたごとという音しかしない静かな車内。
人は俺のほかに運転手しかいない。貸切の電車。まるで大きな車に乗っているかのような気分。
電車の中で昨日の夜に読みかけた本の続きを読む。
それだけだとつまらないので音読してみる。
「炎の中からサカナが飛び出した。水の中から出てきた木の葉が舞い出した。風は地中の蟻をさらって空へと解きは」
俺はそこで音読をやめた。
この本は四日ほど前にさらさんが貸してくれたものであった。『蟻の誕生』という本だ。小説である。昆虫記ではない。けっこうぶ厚い。

いつのまにか電車は見慣れた景色の中にあった。
街に来て学生服を来た同い年くらいの人間を見るともどこかほっとするものの、その反面では胸がむずむずするような思いに駆られるときがあった。
「俺は君よりも五十年多く生きるのだ」と、こっそり言ってしまいたくなる。
言っても何も変わりはしないだろうが。

そして長い電車の旅を終えると、そこから先は一ヶ月前となんら変わりはない。
通学路にのって学校まで歩いていくだけだった。そう、今日は久々の登校日。
いつもの教室にはいつもの顔ぶれ。
3年間クラスが変わることのない俺の学校では、三年目になるともうクラス全体が友達と化していた。
そして最後まで変わることはないであろう座席に腰をかける。
カバンを横にかけて机の上をふと見ると、なにかプリントが置かれているのに気がついた。

「おっす、透」
プリントに目を通すより前に友人が話しかけてきた。
「ああ、お早う」
「もちろんお前は俺と一緒だよな」
「何を気色悪いことを……」
ジト目で相手をにらみ付ける俺。
「ちがう! そんな目すんなって!これだよ、これ」
指をさされた先にはそのプリント。
どれどれ、と手にとって読んでみる。
「修学旅行チーム編成について……」
「そ。俺とお前は一緒」
「……」
「だからそんな目で見るなって!」
「修学旅行?」

「修学旅行ぉぉ!!?!?」
海と大地、太陽と月がひっくり返るような声が桂宅に響き渡った。
「ちょっとちょっと透くん! 帰って来てイキナリそれはないでしょ!」
「何がですか時子さん……ι」
「何が修学だか知んないけど一人でずるいわよ」
「ひ、一人じゃないです!」
すると、さらがにこにこしながら言った。
「不倫?」
「なんだそれ!」
「現地妻?」
「さ、さらさん!」
「うふふふ……」
そして、今度はあんずが言った。
「一人で旅行なんてさもしい奴」
「さ、さも……・みんな修学旅行を知らないからそんなことを言ってるんだ、じい!」
一人縁側に座って夕涼みをしていた桂じいちゃんに助けを求める。
「まあ頑張っていってこい」
「じい……」

がくりと肩を垂れ、もう自分だけの力で説明するしかないと悟った。
それから上は時子さん、下はあんず。わかりやすいように修学旅行を説明した。
「……わかりましたか」
「でも、ずるいわよ」
「えっ」
さらさんがうんうんと頷きながら言う。
「要するに透さんはハーレムを作りに」
「そ、それは違います」

さらさんの頭にはちゃんと伝わっていないらしい……・。

「とーる、ずるいのー。あたしたちはいけないもんね」
「そうよそうよ。家族は参加しちゃいけないわけ」
「い、いや、学校行事にまぎれるのはまずいかと……」
「透さんは青い鳥を求める旅人になるわけですね」
「何を言っているんですか」
「あたしも行きたい、連れてけーっ!」
「だ、だから無理だって」

そこにようやく縁側での夕涼みを終えたじいちゃんがこちらまで歩いてきて会話に参加した。

「そんなに透を困らせるんじゃない」
「困ってるのはこっちよっ!」
「い、いや、どうみても俺ですよ……」
「ふむ、旅行に行きたいなら山の上の神社でもいってこい。命がけのスリリングツアーだ」

すると、時子さんが露骨にいやそうな顔をした。

「げっ、あの巫女のいる神社に行けと」
「ははは。とにかく俺は行きたくもない修学旅行に無理やり行かされるのだよ。いいか、修学旅行というものはな、楽しい観光なんかしないんだぞ」
するとさらさんがポツリと言った。
「昼ドラ……」
「……・」

今、さらさんの頭の中ではどんな修学旅行が描かれているのか。

「そう。修学旅行とは、いわば生き地獄。美しい高原や自然の中でホテルに缶詰! 勉強勉強! 強化合宿なのだ」
「じ、じいちゃ」
「かわいそうだろう、透が! それなのにみんな行きたいのか? 外に一歩も出られずに痩せこけていく透を見たいのか@」

じいちゃんの言葉に三人の顔がはっとする。

「と、透くんがガリガリに痩せて勉強地獄……」
「とーる、かわいそう……」
「透さんが鯖のミソ煮に……」

なんか一人だけ見てる世界が違うぞ。

三人はしばらく黙っていたが、ようやく顔を持ち上げて言った。
時子さんが今にも泣きそうな目をしながら言った。

「わかったわ……そんな修学旅行にむりやり行かされるなんて知らなかった。ごめんね」
意外と素直に信じてしまっているらしい。
次にあんずが後ろに炎をめらめらさせながら言った。
「ひどい!あんずがかわりに修学旅行をぼこぼこにしてあげようか?」

誰のかわりだ?
最後にさらさんがにっこりしながら言った。

「透さん……・お魚になってもどうか元気で」
…………もうなんでもいいや……。

そんな三人に聞こえないよう、桂じいちゃんが耳元で言った。
「あとは私がうまくやっておくから、楽しんでこい」
俺は静かに頷いた。
修学旅行はもう目前であった。

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