階段を駆け抜ける風のような音。
木の板が響かせる着地音。
そして台所からは冷蔵庫を激しく開け閉めする音。
「くあーっ! 一生に何度かのピンチがきた!」
ばたばたばたと家の中を走る音。その音に一人の少女が目覚めたらしく目をこすりながら歩いてきた。
「……とーる、騒がしいんだけど……」
「え」
少女と目が合い、立ち止まる。
「ご、ごめん、いま何時かな」
「いま? ん……朝の七時かな」
「ぎゃーーーーーーーーーーーーーっ!」
「……うるさい」
透は今日から五日間の修学旅行に行く。その出発の日に、まさかの寝坊。
「なんだなんだ、透。騒がしいぞ」
「透くん、あたしたちのために朝食でも作ってたの?」
「透さん……天井が抜けそうです……」
「だああっ、遅刻するのでこのへんで失礼しますっっ!」
四人の間を走ってすり抜ける。
「ちょっと透くん!」
「じゃあ行ってきます!」
玄関の扉を開けっ放しにしたままで透は家を飛び出した。残された四人が呆然と立ちすくむ。
「なにあれ……」
「とーる、遅刻なの?」
「どうかな……ずいぶんと大きな荷物を抱えていたからな。今日が修学旅行の日だったんだろう」
「あっ、……とうとうきたのね、この日が」
「ふむ。まあ、透の一人や二人、いなくなっても大して変わらないだろう。」
「まあ! 透さんが五人や六人!」
さらが口に手を当ててびっくりした表情をしている。
「そ、そこまでは言ってないだろう」
「あふふぁあ……あたし、寝よ」
「あたしもー」
「zzz」
「ぅああ……」
次の新幹線の到着時刻を告げるアナウンスが駅に、透の耳に響いていた。
「こういう展開って……ありなのか?」
新幹線に乗り遅れるとは思ったが、実は集合時間を間違えて記憶していただとか、
今自分の見ている時計は二十分ほど早く進んでいるのだとか、そういうことを期待していたのに。
「みごとに……・本当に乗り遅れた」
こんなに恥ずかしくて馬鹿なことってないと思う。遅刻は遅刻でも新幹線に乗れればいい。
しかし今、自分は大きいカバンを持ち、誰もいない駅のホームに一人たたずんでいる。
「そ……そうだ、携帯……」
透は大きいカバンとは別に肩からかけていた学生カバンの中を探る。
(とりあえず修学旅行の班のメンバーである友人の携帯に電話をして、冷静にこの後を考えよう。)
「あ、あった、携帯。えと、アドレス帳……………………!」
不意に携帯を操作する手が止まる。そして、透はいっきにどん底へと突き落とされた。
「なんじゃこりゃ!」
登録していたアドレスがすべて消えていて、その代わりに四件だけアドレスが表示されていた。
「一件目・・・名前、『カワイイあんず』」
「二件目・・・名前、『ダイナマイトな時子様』」
「三件目・・・名前、『蟻蟻蟻 蟻』」
「四件目・・・名前、『↑すまん透。どうか許してやってくれ。桂』」
少し先のほうに、何か幻覚が見える気がした。
ぺたんとホームの冷たいいすに腰掛けて、これから先のことを考えることにした。
(お金はそこそこ持ってきたから……京都にはなんとか行けるだろうが……)
「問題はそのあとだよな……京都についてもそこからバス移動とかしおりに書いてあったような気がするし……あっ、そうか……しおりを見てみよう…………
ごそごそ。
ごそごそごそ。
ごそごそごそごそ。
ごそ……
「忘れた」
そういえば昨日の晩に布団の中で日程を確認して寝たから、きっとまだそのままなんだ……。
「ぁぁ……、ええと……せめて旅館……旅館の名前なんていったっけな……」
「水崎旅館」
「……あ」
その声に反応して顔を上げると、そこにいたのは、神出鬼没なその人であった。
「森井さん……」
「おはよう」
「ど、どうして」
すると森井さんは透の荷物が置いてあるいすの隣に腰掛けた。
そして、少し困ったような笑顔で言った。
「……遅刻しちゃった」
「あ、ああ」
「島村君も?」
遅刻しちゃったとかそんな軽く言えるレベルの問題じゃあないんだが……
とりあえず作り笑顔で答えた。
「まあ……」
しかし、森井さんは俺の返事なんかまるで聞いてないという感じで、大きく腕を前方に伸ばしてみせた。
すらりとした細い指が交互に組まれ、それと同時に両足もぴーんと伸びる。
「どうしよっかな」
一言、それだけ言ったあと、二人の間に沈黙が流れた。
しかし、この状況では沈黙が一番冷静になれる手段かもしれない。透は特に口も開こうとせずに、ただ目の前に広がった狭い空を眺めていた。
「島村君」
「ん?」
聞こえるようで聞こえないようなか細い声で、隣の森井さんが名前を呼んだ。
「なに、森井さん」
「住むところ変わったんだって……?」
「え、ああ、うん」
「どうして?」
「今、おじいちゃんの家に来てるんだ。そっちのほうが受験勉強する環境にいいからさ。」
「そっか……」
「うん」
会話はそこでぷつりと途絶えてしまった。
そのあと俺たちは、森井さんが持っていたしおりに書いてある先生の携帯に電話をかけ、
次の電車に乗って京都駅で先生と合流することにした。先生の口調は穏やかだったが、なんとも申し訳ない気がして声も小さくなってしまっていた。
そのころの木隠宅では・・・・・
びゅんびゅんっ
しぱしぱしぱ
「ええい、今日こそこの父様から受け継いだ弓で封印してくれるわっ」
ビュンビュン
「わーい、おねーちゃんがんばー!」
「いやあ、紫蘇の弓使いはいつ見てもすばらしいな」
「時子さん、前代未聞ですよ〜」
「ちょっ、あんたたたち、なんでギャラリー化してんのよッ」
「この山を妖怪どもの巣にさせてたまるかっ」
庭で紫蘇と時子が激しい戦いを繰り広げているところであった。
「紫蘇ッ、あんたもたいがいにしなさいよねっ」
「そっちこそおとなしくつかまったらどうだっ」
「だいたいなんであたしばっかり狙われるのよっ!」
「簡単なこと。桂は一番強い。さらは木の神と契っているから狙う必要もない。あんずは動きがすばやい。となるとっ」
きりり、と引いた手をぱっと離し、時子の後ろの木をめがけて弓矢を放つ。
「ヒェッ」
「なまけてそうなあんたを狙うのが一番楽だからよ」
「ちょっと・・・シャレになんないわよ」
「座敷童子、家の守り神ねえ・・・」
そういって紫蘇は時子にじりじりと近づく。
「でも私はあんたたちを封印するわ。この山になんかいさせない。それが死んだ父様の望みだったのよ」
「紫蘇……」
「この山は父様の山。あなたたちなんかに居坐ってもらっちゃ困るわ」
紫蘇は木に刺さった弓矢を手で抜いた。
「今日はいいわ。日を改めてまた来る」
そうして、時子の前でくるりと身を翻して、そのまま森の奥へと走っていった。
しばらくして姿が見えなくなった頃、桂が苦笑いをして縁側に腰を落とした。
「あの子にも困ったもんだ……」
苦笑しながら言う。
「困ってるのはこっちだってばっ」
「時子さんのお悩みは私ががちゃっと解決ですよ」
「その効果音は何なの……」
「まあまあ時子、もう少し我慢してやってくれ。いずれあの子もわかるだろう」
「くーッ!この孫バカッ!」
「ばっ……」
桂は何か言いたげな顔をしたが、「まあまあ」と手を振るさらになだめられた。
青い空が映し出されたその瞳に、風がそっと吹いた。