座敷童子

第十七話「二つの空」

一人だと起こしにくい奇跡も、二人ならば起こせるのであろうか。
俺は今、自分の立っている場所で、しみじみとそう感じていた。
「京都だ……」
「うん、京都だね」
そして、そんな俺の隣にいるのは、お下げ髪を風に揺らしている森井さくらである。
修学旅行の集合時間に遅刻し、新幹線に乗り遅れた俺たちは、しおりに書いてあった先生の連絡先に電話をかけ、
ようやく京都まで無事につくことができた。
あとは待ち合わせ場所にいる先生と落ち合い、そのまま皆の居る旅館に行くだけだ。
みんなと会うのがかなり恥ずかしい気もするのだが……
(じいちゃんたちにいったら笑われそうだな)
そもそも俺がこんなにこころもとなかったり心細かったりするのは、あんずたちが俺の携帯のメモリーを全て削除してしまったからというのもある。
だいたいいつ俺の携帯で遊んでいたんだか……じいちゃんもちゃんと止めて欲しいものなのだが。
(まあ……じいちゃんもぼーっとしてるときがあるからな……)
「島村君、ぼーっとしてどうしたの?」
「えっ」
不意に森井さんに顔を覗き込まれ、思わず声が漏れる。森井さんはそんな俺を見て少し笑い、すぐ駅の出口のほうに顔を向けた。
「先生、まだかな」
「ああ……だね」
「……島村君、ちょっと変わったね」
「えっ」
とつぜん予期していなかった言葉を言われて、またもや声が漏れる。
ふふふ、と森井さんは静かに笑っていた。なんだか少しからかわれている気がした。
「そう……」
俺は短く答えて話を終わらせようとする。
どこが変わったの?とか、どう変わったの?とか、そんなことは聞かなくてもなんとなく自分でわかる。
「うん、変わった」
森井さんも、ここが変わったよ、とか、こんなふうに変わったよ、とかを言ったりしなかった。
そうだな……
俺は変わったかなあ……。
騒がしい環境は今までと変わらない。
ただ、今までみたいに、「うるさい」とは感じなくなった。
騒がしさの中に、自分で知らず知らずのうちに幸せを見つけようとしていた。
それは現実逃避なんかじゃない。
俺は今、目の前に起こるすべてのことを現実と認め、歩いている。
じいちゃんに俺の「運命」の話をされたあの日から・・・
それまではただ、見えるものだけを信じていた。それ以外のものは信じられなかった。
うん、俺は変わったかもしれない。
表情にも出ないくらいの微笑が浮かぶ。
森井さんが、あ、と小さく声を漏らした。
「先生きたよっ」

屋敷の玄関にある、少し時代遅れの電話。
桂は手にしたメモを見ながら、ゆっくりダイヤルを回す。
「ああ、真樹か、私だ。うむ、なに、たまには電話してもよかろう。……え? いやまだ私は若いぞ。お前より若い。はっはっはっ。
いや、なに、そういえばこの前送ってくれた酒だがな、あれはいかん。時子に飲ませたら二日酔いどころではなかったぞ。
いったいどういう酒なんだ。……はあ? わざわざ、そんなものを……うむ。高かった? そんなことは知らん。
ああ、今回はな、世間話をするために電話したんじゃない。そのな、楸(ひさぎ)のことなのだが。五日後が命日だからな。
うん、そうだ、……うむ。来るか? 来るのか。わかった。くわしいことは都合がついたら連絡をくれ。ああ……うむ。じゃ」
桂は静かに受話器を置いた。
「紫蘇のところにも行かねばなるまいな」

 

「水崎旅館」
そこが、俺たちの泊まる旅館だ。
ロビーに入ってきた先生と俺と森井さんを見て、仲居さんらしき女性がぱたぱたと近寄る。
「おかえりなさいませ」
「あ、どうも。遅刻してきた生徒たちを連れてきました。島村、森井。部屋番号はわかるな?あと三十分で日程説明会があるから、それまでに準備しておけよ」
俺たちは同時にはい、と返事をしてそれぞれの部屋に行くことになった。
女子の部屋と男子の部屋は東と西でしっかり分けられていた。
「じゃあ私、こっちだから・・・」
「あ、うん」
「また」
「うん」
あ、お礼くらい言っておいたほうがよかったかな。森井さんがいなかったら俺ひとりでさまようはめになっていたわけだし……。
そう思ってくるりと後ろを振り向いてみたが、もうそこには誰もいなかった。
自分の泊まる部屋の前に立つと、中から笑い声なんかが聞こえてきた。ドアを思いっきり押して中に入る。
「お」
「おおっ」
「透〜」
同室の仲間たちがいっせいにこっちを見てそれぞれ声を上げた。
「よ」
短く返事をして部屋の片隅に荷物を置く。
「いやあ来ないかと思ったぜ、島村ッ」
「なになに、お前どしたの? 寝坊? メールくらい入れてくれてもいいのになー」
「あ……携帯のメモリーふっ飛んでてさ……」
「それよりお前っ、どうだった?」
「……は?」
友人の一人がにやけ顔でずいっと近づく。
「森井も一緒だったんだろ?」
「マジかよ!」
「あのオカルト部長と二人で! 何かあったかッ?」
初日にしてもう話題に飢えているのか。友人たちは期待の眼でこちらを見ている。
「いや、なにもなかった」
さらりと受け流す俺。
「なんだーつまんねえなあ」
「まあまあまあ、でも同じ部屋に泊まったとかそういうのじゃないしな」
「だよなー。ちぇ」
今この友人たちに「女三人と一つ屋根の下で一緒に暮らしている」なんて言ったら大騒ぎになるだろうな。
しかし、あの三人の誰を見ても、友人たちが期待するような関係に発展しそうな人は誰一人いない気がするのだが。
(あ……そうだ)
俺はふと思い出し、立ち上がって部屋を出る。友人たちはもうテレビの前に移動していた。
赤いじゅうたんの上をぱたぱたと歩き、廊下の端までいく。そして、窓際に立ってズボンのポケットから携帯を取り出した。
「……あ、もしもし」
かける場所はひとつしかなかった。
「うん。今宿についた。いや、帰ったらゆっくりはなすけどさ、新幹線に乗り遅れて、うん、そう、集合時間に間に合わなくてさ。
なんとかたどり着けたけど……ってじいちゃん! なんなんだ、あんずたちのせいで携帯のメモリーが全部消えてるじゃないか! 
もうおかげで困ったよ。え、はっはっはって……。笑い事じゃないよ、じいちゃん……」
受話器のむこうでじいちゃんはケタケタと笑いながら俺の話を聞いていた。
すると、突然その笑い声が遠くなり、なにやら雑音が入る。
「ん」
「とーるーっ」
「わっ」
あんずだった。
あんずのでかい声が耳にキィィンと響き渡った。
「あんず・・・?ああ、今朝ぶり。ん?」
「はらへったーっ」
「時子さんに作ってもらえ」
「暇だーっ」
「さらさんに遊んでもらえ」
「ぶぅぅ」
その元気な声を聞いていると、不思議と落ち着く気がした。
あんずは、ご本でもよもー、とかなんとか言いながら受話器をじいちゃんに返した。
「うん、元気みたいだね。時子さんやさらさんも元気? うん、うん。またかける。じゃ」
そして、再び旅館の中に流れる静かな音楽だけが耳に入ってくる。
俺はふう、と一息つき、携帯をポケットに戻して部屋に帰ろうとした。そのときである。
「あの」
「……え?」
誰かに呼び止められて後ろを振り返る。
そこには仲居姿の、30代後半くらいの女性が立っていた。
何かを言おうとしているが、いいにくそうな雰囲気なので嫌な予感がした。先手を打ってみる。
「あ……もしかして館内……携帯の使用禁止でしたか……?」
「いえ、そうじゃないです」
「そうですか」
「その、……」
もしかしてズボンのチャックが開いていたり、顔に何かついていたりするのだろうか。なんだかとても切り出しにくそうだった。

「なんでしょう……?」
「……あんず……」
え?
「あんず……って仰ってました……よね?」
「はい」
なんだろう……胸騒ぎがする。できればなんでもないといってほしい。
あんずが……なんなんだろう……
「あんずが、どうかしましたか?」
「その、あんずという子は……妹さん?」
「いえ、うーん……なんというか……えっと……」
あんずと俺の関係なんてうまく説明できるものではない。
「あ、預かっている……んです。親戚の子で」
「……そうですか」
「はい」
そして、その仲居さんは後ろで束ねた黒髪を少しだけ整えて言った。
「その子は……今どこに?」
「え……どうして……何か?」
「……」
「……」
お互い黙り込んでしまった。
「……えっと……」
(あれ……?)
ふと、その仲居さんの顔をじっくり見てみると。その面影に、あんずが重なる気がした。
白い肌に、どこまでも綺麗な瞳。そして、何よりも漆黒の立派な髪。
(いやまさか……)
京都だ。古いこの町ならば大和撫子くらい何人でもいそうなものだし。
だいたいあんずは壁を抜けたりする。人間ではない。座敷童子だ。
「えっと、じゃあ……これから集まりがあるので……」
俺はそういってその場を足早に去ろうとした。すると、仲居さんは言った。
「あんずに会わせてくださいっ……」
自分の耳を疑うとはこういうことか。
「……あんずのお知り合いですか……?」
そんなことはありえない、と思いつつも、聞いてみる。
すると仲居さんはまっすぐの瞳で俺のほうを向いて言った。

「……あの子は私の子……」
早めようとして出した足を動かせず。
そして、なにを言い出すこともできず。

 

俺はその場に立ったまま、頭の中で何度もその言葉をくりかえしていた

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