少し苦笑いをして窓の外を見る。
俺のこの数奇な運命も誰かが笑いの種にでもしてくれたなら楽なのかもしれない、
と、ふと思ったりした。まあ、すでにじいちゃんたちがその役回りを果たしてくれそうだが。
(だけど携帯のアドレスを全部消すのはあまり笑えたものではないぞぅ……)
普段こそ特に気にも留めていないものの、いざとなれば自分は現代人だと思い知らさせることになる。そんなことを実感した日だった。
テレビから聞こえてきた大きな笑い声にふと意識を戻してみると、何やら部屋の入り口が騒がしかった。
同室の仲間らが群がって正面の部屋のやつらと大胆にも廊下を挟み、大声で話している。
「誰かの姉ちゃんか?」
「いや、意外と母ちゃん……」
「京都ではあんな人がいても普通なのかなァ」
姉ちゃん……そういえば姉はちゃんと学校に通って勉強しているのだろうか。
母さんや父さんは変わりないと思うのだが。
「俺今目線合ったーっ」
「まじかよ! こっち見ないかなー……」
「わーっ、こっちくるぞっ部屋もどれ部屋!」
「ちょ、押すなって!」
「うわっ……」
「…………」
「…………」
一瞬騒ぐ声が静まった。
なんとも騒がしい連中だと思いつつ、気になるので俺も入り口に向かった。
と。
「島村?」
「え、島村ってどの?」
「馬鹿、島村って言ったら一人しかいないだろ」
そのとき、今まで聞こえていなかった女性の声がした。
「はい、島村透さまを探しています。どなたかご存知ですか?」
この「島村」という者が明らかに俺であることを確信した皆は、いっせいに後ろを向き、俺を見る。
「お前だよな」
「透しかいねーよな」
「こんな美人の知り合いが……」
みんながゆっくりその場からはけて、そこにいる女性の姿が見える。
「あなたが透さまですか?」
そろえられた前髪に、肩より少し長いくらいに伸びた千歳茶色のまっすぐな髪。しゃんと伸ばした背筋や口調から気品が感じられた。
まさに大和撫子といったところか。背は俺よりも十センチほど低い。
「あ、確かに……島村透ですが……」
するとその人はにこりと微笑み言った。
「わたくし、秋乃と申します。桂様とのお約束を守るため、透さまをお迎えに参りました」
その言葉を聴いたとたん、後ろでやりとりを見ていた同室の奴らがどよめいた。
「迎えって!」
「透さま!」
「透さま!」
「透さま!」
自分だってまだ状況を把握していないというのに、後ろのやつたちは俺を「実はおぼっちゃま」
だとかなんとか思ったりして楽しんでいるように思える。
「あの、すいません」
「はい」
「お迎えって何ですか……?」
「桂様からお聞きになっているはずです。参りましょう、お荷物をお持ちいたしますわ」
「い、いや……しかし、俺は修学旅行中で……」
秋乃という女性は一瞬きょとんとしたが、すぐにまたにこりと笑って言う。
「それならば問題ありませんわ」
今度は俺がぎょっとした。
「何を根拠に問題ないと……で、ですが、先生の許可なしに外に出るわけにはいかないと思います」
「先生……ですか、そうですか」
秋乃さんは少しうつむいてため息をついた。そして、突然顔を上げてこう言った。
「先生に許可は取りました!」
「は?」
「だから参りましょう」
「え@」
何か具体的な言葉を発する間も無く秋乃さんに手をつかまれる。
「許可を取ったって……本当ですか?」
「はい、許可はいただきました」
「明らかにとってないですよね@」
だが、ぐいぐいと手を引っ張って歩いていく秋乃さんになす術もなく連れて行かれる。
(この人……すごい力だーっ)
顔は見えないが秋乃さんは声をにこにこさせて言った。
「それは透さまがご自分の目でお確かめになられるべきですわ」
(え……?)
しばらく廊下を歩いた後、ロビーに着く。そこには、なにやら話をしている先生たちの姿があった。
息切れをした自分の姿に先生の目がいっせいにむけられる。なんだか突然大きな舞台に立たされたような気分になって思わず息を呑んだ。
しかし、言葉を発するより早く、先生の声が耳に飛び込んできた。
「島村」
「は、はい」
担任の先生が名前を呼び、続けてこう言った。
「気をつけていってきなさい」
「はい……えっ@」
「透さま、このとおり許可はとってあります。参りましょう」
「せっ、先生、修学旅行は」
「島村、それどころじゃないだろう」
「秋乃さん! 一体どうやって……」
「あら……」
秋乃さんは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにっこり笑って言った。
「秋乃、でよろしいですよ、透さま」
「そうじゃなくてー!」
先生に笑顔で見送られ、俺と秋乃さんは今、深い森の中を歩いていた・・・。
聞こえるのは鳥や風の声と、葉や草のすれる音。人の気配がまったくしないこの森の雰囲気は、まるでじいちゃんの家があるあの森に似ていた。
大きな木がいくつもあり、通り抜ける風があり、人の声もしない静かな森であれば、どこでも一緒だと思うかもしれない。
しかし、この森は遠足やハイキングなんかで入る森とは違う。人が踏み入るのを拒むかのような威圧感。
運命を運命と受け入れたものでなければこの先に進むことはできない。
しかし……
「秋乃さん」
「はい、透さま」
「その……自分はどこに連れて行かれるのでしょう」
すると、秋乃さんは俺の不安たらたらの声とは裏腹に、明るい声で答えた。
「はい、まだ説明していませんでしたね。透さまのことは桂様のお話よりよく存じております。お
年、誕生日、血液型、性格、部活動に趣味……あ、好きな食べ物はごはんのないカレーライス」
「あ、あれは好きで食べたわけじゃありません!」
「それと」
秋乃さんは俺の言葉をさえぎって言葉を続けた。
「木隠一族の一人でいらっしゃいますね」
「…………じいちゃんとどういう関係なのですか」
「桂様はわたくしのお爺さまですわ」
初夏の乾いた風がそよぐ。秋乃の前髪を揺らして通り過ぎた。
「つまり、透さまは、わたくしの従兄弟さんですね」
「自分に従兄弟がいたことを初めて知りました」
すると秋乃はにっこり笑っていった。
「透さまのおそばにもすでにお一人いらっしゃいますよ」
「?」
やがて秋乃はそびえたつ鳥居の前で足を止めた。
「透さま、これからこの鳥居をくぐって修行場に行きます」
「はあ……え、修行場?」
「鳥居をくぐるときは目をつぶっていてくださいね。はい、いちにのさん」
「えっ@」
秋乃さんは目をつぶり、鳥居の先へと一歩踏み出した。
そのとたん、俺はとてつもなく不思議な場面を眼にした。
秋乃さんの体は鳥居をくぐった瞬間にその場からすっ、と消えたのだ。
何かに吸い込まれるようにして姿を消した。
こういうのをなんといったっけ、そう、テレポート。実際にテレポートなんて見たことないけど、今のは間違いなく……
俺は慌てて周囲を見渡した。しかし、どこにも秋乃さんの姿は見えない。
目の前に大きくそびえたつ鳥居だけがとんでもない威圧感で立ちふさがっている。
ごくり、と息を呑んで目をつぶる。目の前の景色が真っ暗になって、耳だけに音が入ってくる。
少しふらつきながら、ゆっくり前に足を踏み出してみた。
鳥居をはさんだこちら側とあちら側。どこが境界なのかわからない。
それでももう一歩踏み出して……何も起こらない。いつ目を開けたらいいのだろう。
もう一歩踏み出してみる。
何も起こらない。
もう一歩・・・何も起こらない。しかし、目を開けてはいけない。
そのとき。
むにゅん
(…………ぇ)
「透さま」
「……」
「透さま、もう目を開けてよろしいですよ」
「……」
この感触はなんだろう……なんか自分がとんでもなく失礼でセクハラなことをしたような気がしてならない・・・怖くて目が開けられない。
「透さま、あの、いつまでもその体勢では困ります・・・」
「……」
「フーーッ」
い、今の声は……秋乃さん?
「透さま……」
「あ、秋乃さん?」
「今、わたくしは猫又なので……」
猫又…………
「猫又!?」
俺は目を開けて後ろに跳びすさる。
なるほど、目の前にいたのは尾が二つに分かれた猫又だった。
部活の研究発表なんかで何度か名前を目にしたことがあったが、まさか本当にいたとは。
「って、落ち着いてる場合じゃない! ここは……あ、秋乃さん?」
「透さま、ここはわたくしの住む庵でございます。あ、この格好のほうが落ち着くので普段はこうやって過ごしてます」
「秋乃さんは猫又の化身だったのですね・・・」
そういうと、秋乃さんはたちまち人間の姿に戻った。
人間の姿になった秋乃さんは巫女服の格好をしていた。
「透さま、あの鳥居は妖怪と人間の世界を隔てる境界線の上に建てられたもの。その昔、妖怪を嫌った我が父上が建てたものです」
「妖怪を嫌った……?」
「はい。父上は桂お爺様の子孫ですから当然木隠の一族に入ります。
自分の体が生まれたときから完全なる人間ではないことを知り、自分を忌み嫌い、同じようにこの森に棲む妖怪たちをも嫌いました。
そのときにこの鳥居は父上が結界のかわりにと建てました」
「それではあなたの父さんが木隠一族というならあなたももしかして……」
秋乃さんは小さくうなずいて言った。
「はい。私も透さまと同じ木隠一族です。しかし、私の場合は母上の遺伝もあって透さまのように半分人間というわけではありません。
本来なら半分人間になるはずのところが何らかの異常で母上の妖怪を受け継いでしまいました。あ、母上は……数年前に亡くなりましたけども」
一つ、気になることがあった。俺は思い切って口を開く。
「お母さんが妖怪だと知って父さんはあなたを生んだのですか」
「……」
秋乃さんは暗い顔をして黙り込んでしまった。聞くべきではないことを聞いてしまったようだ。
「ごめんなさい……」
沈んだ俺の声を聞いて秋乃さんははっとして顔を上げた。
「い、いえ、ごめんなさい」
「なんで秋乃さんが謝るんですか」
「母上は、自分が妖怪であることをずっと父上に黙っていました。姉様が生まれ、私が生まれてからもずっと黙っていました。
しかし、私が半分木隠以外の妖怪の血を引いていることはいずれわかってしまうことで。
母上は自分は妖怪だと父上に言うことで嫌われてしまうことが怖かったのだと思います。
結局妖怪であったことを父上が知ったのは母上が亡くなった後の遺書からでした。それを読んだ父上はひどくショックを受け、
母上が亡くなったことに対する絶望も手伝って何かに取り憑かれたように狂い、山中、森中の妖怪たちを弓で討っていきました。
自分のしたことは間違っていない、母上は妖怪なんかではない、そう信じたかったのでしょう。
そんな父上は、ある日突然弓を姉様に預け、意志を託して亡くなりました。死因はわかりません。姉様も何も話そうとはしませんでしたから……」
その巫女服を見ていて何か引っかかるところがあると思ったのだが、そうだ。今頃気づいたことがある。
「紫蘇さん……」
口に出した名前を聞いて秋乃は視線を俺に移し、少し笑った。
「はい、紫蘇はわたくしの姉様です。やっとお気付きになられたのですね」
「鈍くてすみません」
「ふふ。姉様は純血な木隠の一族です。父上にもかわいがられていました。その反面……わたくしは父上から避けられていましたわ」
「それは……何故……」
「きっと私が純潔な木隠ではないことを直感で感じ取っていたのかもしれません。
そうでなくてもわたくしは猫又の血を引いている以上、父上や姉様とまったく同じように生活することは困難でしたから……」
そう言って秋乃さんは不自然に微笑み、俺から目線をはずした。
「透さま」
不意に名前を呼ばれる。
「は、はい」
なんとなくぎこちない返事をして返す。
「透さまはこれから三日間、わたくしのもとで修行をしていただくことになります。これは、桂お爺様が透さまに課せられた試練です。
ただし、本来木隠一族に課せられた試練とは体内に木の細胞が含まれているという数奇な運命そのものであります。だから透さまの今回の試練はお爺さまに与えられた特例です」
「と、特例」
「あんず様、時子様、さら様。この三人の方と接した透さまの運命によるものとでも言っておきます」
「え……?」
「透さまがこれから人生を過ごしていく上で障りがないように、とのお爺様の計らいでございますよ」
秋乃は相変わらず背をのばして一度もつかえることなく言葉を続ける。
「これから透さまには三日間で三つの記憶を見ていただきます。それは透さまにとって無益であるか否か。後で、教えてくださいね」
「秋乃さん、記憶って……?」
不安そうな顔をする俺に、秋乃さんは無言の優しい微笑で返した。
「じいちゃんはいったい何を考えてるんだか……」
「透さま、手を」
「……?」
「いきますよ、透さま。第一の試練です」
「あ、秋乃さんっ……」
秋乃さんはゆっくり目をつぶると、俺の手を強く握り、そして、瞬く間に秋乃さんの体は目の前から消えた。
あっけにとられて立ちすくむ俺の意識が、少しずつ遠のいて場面を変えていったのはそれからしばらくたってからのことだった。