深い森の入り口で透はうごめく何かを見つけた気がした。
あれは?―――――――
立ち止まってみる。
年々落ちかけているその目で、ぼんやりとそれを見てみる。
あれ?―――――
もうそれは消えていた。
ま、いいか。
肩からずり落ちたカバンの紐を左手で直し、森の入り口を後にして再び歩き始める。
「アンタ、本気ィ?」
頭の中に姉の大きな声が幻聴のようによみがえってきた。
一歩。
「透。みんなで仲良く暮らそうよ、ね?」
「透が勉強に熱心なのは凄くわかるぞ、でも何も・・・」
また一歩。
「いや、決めたから。じいちゃんにも許可もらったし」
「透、アンタ普通さ、たかだか高校受験に、そこまで命をかける?」
さらに一歩。
「おじいちゃんの所に行くって、あそこは透の中学から二時間かかるのよ?」
「お前だって疲れてしまうぞ。受験が大事ならなおさら自分の体を大事にしなきゃ、じゃないか」
足を止める。
「ああ、そうだね。でも体の大事より、精神の大事を取るよ。
それにあっちのほうが静かに勉強できそうだし。静かに。ね、母さん、父さん。良いでしょ?」
「静かにっ・・・・て、佐保子ちゃん?」
「な、何?」
「佐保子ちゃん、もしかして・・・」
姉がギク、として身をそらせる。
透の受験が終わるまでは『音量は小さくするかイヤホンでね』と言われていたのだ。普段は穏
便な、この母を怒らせたらそれこそ爆風と竜巻が同時に来るようなもので。
母のいない間に「大音量で音楽を聴いている」ことがバレたのでは。
「あのね、あの、お母さん」
「もしかしてお部屋で武富●のダンスなんかしてるんじゃない?」
ガタガターーーン
どんな姉だ。
一同母を冷めたまなざしで一瞥する。
そんな様子にハッとして母は言う。
「・・・違うの?それとも大きな音で音楽を聴いていたの?」
そっちが正解だ!
「ううん。武●士やってた」
ノるな、姉。
自分の姉が「いちばん、いちばん」とか言いながら、ノリノリの笑顔であのダンスを踊るのは想
像したくない・・・。
ゾオオオォォ。
「じゃあ行くから」
「あ、透、待って・・・」
「母さんもね」
「え?」
「息子の俺でさえ耐え切れないくらいなんだから、外ではあまり父さんとイチャつかないほうが
いいよ」
「と、透」
父さんが少しだけ笑いながら名を呼んだ。
「・・・行くのか」
「行くよ」
「・・・」
「行け」
父は突然文字を大きくして叫んだ。おそらくは最初で最後。
「行け、行くのだ、行ってしまえ〜はははは」
「ちょっと孝ちゃん!?」
母が壊れかけた父を止める。
もう結婚生活も20年以上になっているのに、父と母はいまだに名前で呼び合う。しかも、「ちゃ
ん」付けで。
「何言ってるの!透が家をでるって言ってるのよう!」
「なに、透も男だ!なあ。青春だもんな!冒険したいよな!」
「受験勉きょ」
「さあ、ゆけ、旅立て息子よ」
「孝ちゃんたら!何考えてるの?」
「なに、コイツなら大きくなって僕らのところに帰って来るよ、真樹ちゃん」
「でも、孝ちゃん・・・」
「・・・僕たちの息子じゃないか」
「孝ちゃんvvvv」
「まーきちゃんvvvv」
俺、すでに二人の目の中に入ってない・・・・?
そう思ったとき、姉がポツリとつぶやいた。
「もう・・・行きなよ」
俺は無言でうなづいた。
深い森の入り口で透はうごめく何かを見つけた気がした。
あれは?―――――――
立ち止まってみる。
年々落ちかけているその目で、ぼんやりとそれを見てみる。
あれ?―――――
もうそれは消えていた。
「どうした?」
ハッと我に返り、顔を上げる。
「透」
「いや、じいちゃんの家ってこんな深い場所にあったんだなって」
「ふ、健忘症か」
「病気じゃないよ、前来てからもう10年は経ってるさ」
「では私が健忘症だと言うのだな」
「言ってないよ」
「ふ」
桂(かつら)じいちゃんは今年で68になる。
が。
見えない。
いや、若々しいいとか若作りとか、そういうのじゃない。
明らかに若者だ。
ありえない。
こんな68いねーよ。
年齢詐称だ。そうに違いない。
また自分が幼かった頃は「おじいちゃん、皺がないよー」だけで軽く流していたが、こんな、こん
な・・・・。
母方の父なので、母にこの祖父の異常を聞くと
「うちの父ちゃん、人間じゃないからねvV」とサラリ言う。
母さんのことだからまた変なボケが始まったと思い、冷静を保って「そうなんだ」と返してみては
いたが、
実際に会うと「そうなんだ」どころじゃない。
一番近い駅で待ち合わせをしていたのだが、あった瞬時に「誰?」と無表情で自分の祖父に聞
いてしまった。
そして、祖父は口の端で笑いながら答えた。
「お前のじいちゃんだ。」
説得力ないよ。
皺ないじゃん。
背筋伸びてるじゃん。
たまに凄いスピードで走るし!
「わかった、じいちゃんの孫だ。おれのイトコ?」
「じいちゃんだと言うに」
「ハトコ?」
「じいちゃんだよ」
「わかった、隣の家のじいちゃんの孫だろ」
「お前のおじいちゃんだっつうの!」
「無理!!!」
「信じないつもりだな」
「だってどう見ても20代のワカモンじゃん」
「じゃあ俺が生きていたときの話をしようか。いいか、第二次世界大戦が・・・」
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家に着くまでの2時間。
歩きながら(バスや車は通れないほどの狭い道なので。)その話は延々と続いた。
「そのとき犬養毅はな、右翼に向かって」
「あれ、じいちゃんの家ってこんなところにあったっけ」
「この仁徳稜というのはな、周りに円筒埴輪がな」
「おう、お前、ここまででいいよ」
道を覚えていないはずなのに、いつの間にか先頭に立ってズカズカ進んでいた俺は、
立ち止まり、後ろを向いて、そう言った。
「なぜだ」
「お前、じいちゃんが遣わせたお使いのやつだろ?この近くに住んでんの?」
「・・・お前な」
「日が暮れる前に帰らないと、怒られんじゃないの?」
「ほう、どうやっても信じないか?」
「どうやったら信じられるかね。」
「こうするしかないか?」
そう言うと彼は近くに植えてある大木から葉を一枚、プツリと手で取った。
「これをな・・・」
さらに懐からカッターを取り出した。
「こうするのだっ」
強い語尾の余韻を感じる間もなく、彼は空中でカッターを動かし、葉をみじん切りにしてみせ
た。
「おー・・・」
それだけで感動する俺。そんな俺を見て「ふ」、と微笑し、彼は腕まくりをした。
「見るがいい」
腕まくりをすると、そこには傷があり、その部分からは白い液体が流れ出していた。
「・・・なんだ?膿か?」
「ふ、膿か。これは樹液だ」
「・・・液?」
「この傷は私が先刻葉につけた傷と同様のものだ」
「・・・」
「今こそ言うときが来たな。透。私はこの樹だ。この樹は『桂』という」
「・・・」
「実は昨年、人間としての役目は終えた」
「・・・」
「私はもともと自然界の―――透?」
「・・・・」
「・・・ふ、いいだろう、中で話すとしよう。」
そう言うと俺はガランとした家の中へ導かれることとなった。