座敷童子

第二十一話「 暗いかごとシーツ 」

美しい庭であった。
四季の花が咲いている。細く美しい木が何本も立っている。
その庭には物干しにはためく洗濯物の白いシーツが野原のようにひろがる。
シーツの影から一人の少女が顔をのぞかせた。背の低い、小学生ほどの女の子。
木々の合間から吹き抜けていく風が、その少女の髪を揺らす。
少女は少し目を細めて笑った。

「時子っ」

時子、と呼ばれて振り返る女性が一人。
歳は二十歳の半ばほど。腰には届かないが、すらりと美しくまとまった長い髪、、白い肌。

「はい、小春様」
「ごめんなさい、またやっちゃった」

小春らしき少女は、風で煽るシーツの端っこを掴んで、前に一歩踏み出した。
と、同時に、時子の口から あ、と一言声が漏れた。
小春の着ている花柄のワンピースは、裾の部分が泥か土で汚れていた。汚れているのはその部分だけではなく、
出かけていったときには真っ白であったろう靴下や、かわいいサンダルも、である。

「小春様、また奥様に内緒で遊んでいらしたのですか?」
「うん。母様には図書館に行ってきなさいっていわれたけど、私、本きらい」
すると、時子はくすっ、と笑った。
「小春様、その身なりでお屋敷に入ったら真っ先に奥様に怒られますね」
「ああーっ、ねえ時子どうしよう、どうしたらいい?ねえ助けて」
シーツたちがまた、ばたばたとはためき始める。
その中心で時子は明るい表情で言った。
「はい、私に任せてください」

 

この森はいつからあるの?

ねえ、
この森には鍵がかかっていることはない?
たとえば、こんなじゃらじゃらとした鍵束をいくつ持ってきても
きっとどれも鍵穴に入らないの。
この森は自由なの?
風はどこにでもいける?湖の水と海の水は違うのだけど、その上も吹ける?
ほしはひとりぼっちではない?
地面に落ちることはない?落ちたいと思ったことはないかな?
私たちが天を飛びたいと思うように。
ねえ、
あなたのなまえ、はなんていうの?
わたしは、ときこっていいます。

ねえ、
このなまえ、とても気に入っているのだけど、誰がつけてくれたんだっけ?

そんな声が聞こえた……
頭の中に流れ込むように聞こえる。
すると、夢から覚めるみたいに目の前が明るくなった。
でも、目は開けない。

「ほう……こいつはよく眠っているな」
「お姉様、眠っているのではありません」
「ついいたずらをしそうになるが、秋乃はどうおもう?」
「おっ、お姉様っ」
紫蘇はくすくすと笑い、座ったまま伸びをした。
「なに、お爺様に頼まれて透の様子を見にきてみたんだが、けっこう楽しんでいるようじゃない」
「楽しんではいないとおもいますが……」
「透じゃない、秋乃だよ」
「わたくし、ですか」
「こんな山奥に一人で住んでいるんだ、人が恋しいだろう? 透がきて、まあ……なんだ、話し相手になりそうな状況じゃないが、寂しくはない」

すると、秋乃は少しうつむいて言った。

「ええ、でもわたくしは鳥居があります。寂しくありません。」
「……しかしこの鳥居は外部の世界との関係を断ち切った、秋乃を閉じ込めるための牢獄のようなものだ。

秋乃だって下界には降りられずとも、私と同じようにあの森でなら生活できるのに、なぜいつまでもここに……」
しかし、秋乃はそれには答えず、ただろうそくの灯を見つめているだけだった。



「時子、どうするの?」
「小春様、このかごに乗ってください」

時子が差し出したのは洗濯物を入れるかごだった。大きなお屋敷に住む小春、そして多くの部屋と大勢の召使いを持つこの家からは、
清潔を保つために毎日シーツが洗濯されている。
時子は、この「洗濯担当」だった。いや、洗濯の中でも、衣類を洗濯する召使いは他にいる。
時子はその中でも一番仕事量の多い「シーツ担当」だった。しかも、この量を一人でこなさなければいけなかった。
召使いのランクの中でも高いものとはいえなかったのだ。
時子は召使いたちにあまりの好まれていなかった。それは、この屋敷の長女である小春が、誰よりも時子になついていたからだった。

「時子、ねえ、遊ぼう」

そういって、小春はいつも時子に寄り添っている。小春は今年で十一歳になるが、他の遊戯担当の者や、外出担当の者、
食事担当の者、その他自分についているどの担当の者よりも時子が好きだった。小春は時子だけいればいい、という。
なぜ彼女がそこまで時子を好むのか、誰にも理解できていなかった。
ただ、彼女……時子がとても美しい笑顔を持っているということは誰もが認めざるをえなかった。
そんな笑顔で、にっこり笑って彼女は言う。

「小春様、このかごに乗ってください」

時子でなければ言えない言葉だろう。他のものは小春に対してこんな態度をとることができない。
お屋敷で一番主人に可愛がられている長女だ。なれなれしい態度などできようもない。
「ここにのるの?」
「はい」
小春はスカートの裾を少しだけつまんだ。そして、白い足をそっとかごに入れた。ギッ、と藤のかごがきしむ。
「と、時子、わたし重いからだめだって」
あわてて小春がかごから出ようとする。そのときである。

「時子さん?」

姿は見えないが、近くも遠くない場所からその声が聞こえてくるのがわかった。
「母様の声だ……!」
「小春様、急いでくださいっ」
時子は一度かごのそとに出かけた小春を大きなかごの中へと押した。
そして、すでにかわいていた真っ白なシーツを小春の上に優しくかけた。
「時子……?」
「小春様、丸まって、ひざをたたんでください」
「うん」
言われたとおりに小春は体を小さくした。
時子はシーツをどんどん取り込んで、かごの中に入れていく。
四枚ほど入れたところで、かごの両端を持ち、両足でしっかり地面をおさえて一気に胸の高さまで持ち上げた。
「うわっ」
大きな揺れと思いがけない行為に、小春が小さく声を上げる。
「ちょっと揺れますが我慢してくださいね」
時子も小声で言う。と、まもなく背後から一人の女性の声がした。

「時子さん、いいかしら」
「はい、奥様」
「小春、学校が終わって帰ってくる時間をとっくに過ぎているのですけど、ご存知?」
「小春様でしたら先ほど図書室に行ったのをお見かけいたしました」
すると、その女性はたちまち表情に安堵の色をうかべた。
「あら、図書室に・・・ありがとう。それならばいいわ」
「はい。ではシーツをお部屋に持っていくので、私はこれで失礼いたします」
少しだけ腕を震わせながら、軽くお辞儀をして女性に背を向ける。
歩き出そうとしたそのとき。

「時子さん」

名前を呼ばれ、再び女性に顔を向ける。
「はい、奥様」
「この前言っていたすばるの件なのですけど、あなたはもう手を引いていいわ」
「わかりました」
「そういうことですから。よろしくね」
「……はい」
女性は、まるでそのことを伝えるのが本来の目的だったという感じだった。
そして、息をひとつ漏らしてからすばやく後ろを振り返って歩き出し、やがてその姿は屋敷の中へと消えていった。
「……時子」
かぶせられたシーツの下でごそごそしている小春の声が聞こえた。
時子はまわりを見回してから、かごを下に置き、シーツの端をめくった。
「小春様、気づかれなかったですね。よかったです」
「突然持ち上げるからびっくりしたよーもう出ていい?」
「はい、いいですよ」
小春はゆっくり体を起こし、かごに手をかけて外に出ようとした。
そのときだった。
「時子!」
不意に時子の名前を呼ばれて、小春は思わず、再び身をシーツの中に隠した。
「時子、どういうこと?」
向こうから走ってきたのは小春よりもかなり年上の青年。つまり、小春の兄。
女の子のように整った顔立ちに、高い背。少し伸びた前髪を揺らして駆け寄ってくる。
「すばる様」
「さっき母さんから聞いたんだ。ねえ、どういうこと?」
「いえ……私はなにも……」
「時子がいやだといったの?」
「違います。私はすばる様のお世話をするつもりでいました。しかし奥様が……」
その言葉に青年……すばるは口調を強めていった。
「僕は時子じゃないといやだ」
「すばる様……」
同時に時子の頬が赤く染まる。
「時子、もう一度母さんに頼もう」
「しかし、奥様の決意は固いものです。私なんかとても」
「大丈夫……母さんは僕の言うことならなんだって聞くんだ。僕が時子じゃないといやだ、と言ったらきっとそうしてくれる」
すばるは自信に満ちた表情でそう言った。
時子もそれに応えるように、笑顔で言った。
「はい……もう一度……」
「うん」
そして、すばるはにっこり笑って時子の手をとった。
「僕は時子じゃなきゃだめだからね」
その言葉に、時子は無言でうなづいた。
重なったシーツの隙間からその様子を見ていた小春は、言葉では言い表せない雰囲気に少しの戸惑いを感じていた。

 

ほしが、どんなにまたたいても、わたしは見上げない。
くもが、どんなにながれていっても、わたしは追わない。
そらが、どんなに大きくても、わたしは両手を広げない。
自分のちいささをはかるのは、ほしや、くもや、そらじゃない。
自分自身よ。

 

その不安が現実となってしまうのは、それから二日目のこと。
夢から覚めた小春が、まだ眠たそうな目をこすりつつ朝食の席に着いたとき、その話が耳に飛び込んできた。
「すばる様とシーツ使いの話、知ってます?」

小春が朝食をとる場所よりも少しはなれた、水差しがあるテーブルの横で召使いたちがとても小さい声でささやいていた。

「まだ私もよく知らないのだけど、奥様に色々と言われたらしいわね」
「それだけじゃないのよ、二人とも屋敷を逃げ出すって話よ」
「どうして?」
「決まってるじゃない。すばる様とシーツ使いはできて、いたのよ。逃避行だわ」

最後の言葉が、小春の胸を締め付けた。
子供ながらに話の内容が理解できたのは、前々から感じていた兄と時子の雰囲気。
時子はいつも私と笑顔で話すけど、兄と話すときはまるで私よりも幼くなったかのようにかわいらしい笑顔で話す。
時子にとって、兄は誰よりも特別な存在だったんだ。

きっと、母もそのことを知っていた。
もちろんそれは許されない関係。
いつかは家の主人になる者と、それに仕える者。
いったい二人の間に、どうして愛情が芽生えてしまったのだろう。
同時にうまれてくる、小さい嫉妬。
一番好きだった時子が、自分の知らない表情を兄の前で見せていたという嫉妬。

小春は食べかけのパンをお皿の上に置き、召使いのところに近寄った。
「ねえ」
「どうかなさいましたか?小春様」
「時子はどこ?」
「時子はいつもどおり庭にいると思いますが……」
「お兄様はどこ?」
「すばる様はまだお部屋でお休み中ではないかと」
小春は召使いの顔を少しだけにらみ、そのまま食事をしていたテーブルに戻らず、廊下を歩いて屋敷の外に出た。

庭に出ると、そこに広がるのはいつもと変わらない光景。
時子が一人でたくさんのシーツを干していた。
小春はゆっくりと近寄った。
「時子」
名前を呼ぶと、時子は手を休めて小春のほうを見た。
「はい、小春様」
いつもより少しかげった笑顔。
「時子、今日もシーツ干し?」
「はい。これが私の仕事です」
「……手は動かしてていいよ」
「はい」
小春は芝生の上にぺたん、と腰を下ろした。
時子はまた、シーツを干し始める。一定の間隔に、真っ白いシーツ。
決して狂うはずのない時子の日常。
「時子……」
「はい?」
時子の顔を見上げて、問う。
「ずっとこの屋敷にいる?」
少女の瞳に浮かぶ、不安の色。
「そう願っていただけるのでしたら」
「ほんとう?」
「はい。お約束します」
気休めでもいい。そう思い込ませてほしい。
小春は微笑んで小指を差し出した。
「ゆびきりよ」
「はい」
時子はにっこり笑い、差し出された小指に自分の指を絡めた。
「この家に、ずっといてね」
「かしこまりました」

笑顔。時子の笑顔が好きだった。
それはわたしだけに向けられていたもの。
わたしだけが知っていたもの。
だれにもとられたくなかった……

 

雨が降っています。
外に出てはいけないと、母様に言われたから、私は外には出ません。いい子でしょう?
だけど、見て。
お庭に干してあるあのシーツを、だれも取り込まない。
あんなに奇麗に並んでいるのに、どうしてだれも気がつかないの?
召使いたちがたくさんシーツの周りにいるのに、どうしてだれも黙っているの?
見えていないの?
じゃあ小春はこっそりお外に出ます。
長い廊下を歩いて、長い階段を下りて、大きなドアを開いて……

目の前に広がる、いつものシーツたち。
でも、びしょ濡れになっている。
強い雨なんか気にしない。シーツにそっと手をかける。
周りにいた召使いたちが私を見て泣き叫ぶ。
なに、なんていったの?
聞こえないふりをして一枚、二枚とシーツに手をのばす。
そして、六枚目のシーツをとったとき。

そこにいたのは、時子。
あ、お兄様もいる。
二人とも、仲がいいんだね。
そうしてシーツの後ろに二人して寝そべって隠れているの?
あれ?
時子が干していたのは真っ白いシーツだったのに、どうして私の持っているシーツは赤いの?
時子?
お兄様?
どうしておきないの?
すごい雨だよ。シーツもぬれちゃってるよ。

「小春さまっ」

誰かが私の体を後ろから抱きしめた。
振りほどこうと暴れる私を、それでも強く抱きしめたまま離してくれない。

「だれよっ離してよ……っ」

私、泣いてるのね。声が情けないくらいに上ずってる。

「小春さま、お部屋にお戻りくださいっ」
「いやあっ」

無理やり手をほどいて、私はどこかに走り去る。
誰かがわたしの後を追ってきたけど、腕をつかまれても何度も逃げ出した。
いままでどんなに走っても帰る場所があったから遠くへは行かなかった。
帰り道で迷ってしまうから、知っている道だけを走った。
だけど、そのときはどこへでも行ってしまいたかった。
走ることしかできなかった。走ることしか知らなかった。
雨はどんどん強くなっていくけど、気にしない。
今は走るしか・・・走るしかできなかった……

私、転んだのよ。
途中で転んだの。
つまづいたんじゃ、ないのよ。
走りつかれて、倒れたの。
そのとき、あの人の姿を見た気がした。

時子……

その人は私を見ていつもみたいに、にっこり笑って、そして消えていったの。
ああ、やっぱり、あの笑顔が好きだった。
でもそれは私だけのものではなかったんだわ。
わたしはあなたしか知らなかった。
お兄様も母様も父様もみんな嫌いだった。

やがて、わたしはその場に倒れてそのまま意識を失っていたの。
お屋敷からそう離れていなかったから、すぐにみつかって保護された。

屋敷に戻ってきたわたしが見たのは、どんな場所よりも深く、暗い世界。
母様はお兄様を失ってずっとお部屋に閉じこもり、わたしの相手をしようともしないし、
そんな母様を見て父様はただあきれているばかりだった。食事中の会話もなく、わたしに何の話もしてくれない。
だけど召使いたちのこそこそ話を耳にしたの。

いつからかお兄様は時子が好きで、時子もお兄様を好きになっていた。
二人ができるだけの時間一緒にいるためには時子がお兄様の世話全般を受け持つ役にならなければいけなかった。
だけどお屋敷中にはびこる二人が恋仲であるという噂と、時子の位が低すぎたことで、それは認めてもらえなかった。
そして、反発するお兄様にショックを受けた母様は時子だけを屋敷から追放することにした。
その結果、二人は逃避行ではなく、心中してしまったのよ。

わたしが家出をしたのは、それからまもなくのことだった。
できるだけ遠くへ行って、記憶喪失のふりでもして、かくまってもらおう。
そして、出会ったの。

 

森にいる一人の少女と向き合う。
「名前はなんていうの?」
「……」
「名前……教えてくれないかな……」
「なまえ・・・あんずっていう」
「あんず、っていうんだ」
「……おねえさんの名前は?」

小春、といいかけてやめた。
この名前は、捨てよう。忘れてしまおう。
大好きだった人の名前を、言うの。

「わたしは時子って言うの」

わたし、そういってにっこり笑った。
そしたらその子もにっこり笑った。
そして、その子の手を引いて、森の奥へと進むの。
帰る場所を探しに。

 

数年後……

「時子」
「ん?」
「今日はうなぎがいいと思う」
「わかった。じゃあ釣ってきて」
「このおいぼれじいやにそんなことを言うんだな?」
「どこがよ!ぴんぴんしてるじゃないのよ!」
そういってばしーんと背中をたたく。

 

笑い声。笑顔。幸せの実感。
時子、
生きるということがすばらしいということ。
きっとあなたに教えてあげるわ。

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