座敷童子

第二十二話「 空と少女との約束 」

時は深すぎる夜の闇の中。
背の高い一人の人間の女と、一匹の猫が、お互いろうそくを背に横たわっていた。
人間といっても妖怪。猫といっても猫又。
しなやかな二つの尾は交差することなく、上手に床の上で曲線を描いている。
目が何度ももどかしくあいたり閉じたりする。中途半端にあいたままのときもある。
どうやら眠りの訪れを待っているようだ。

その様子を見て、寝付けずにいる人間がたまらず猫又に話しかけることにした。
おきてるのか? と一言声をかけると、猫又はウンウン、といったふうに頭をゆっくり振ってうなずいた。

「秋乃、いつからその格好で寝るようになったんだ?」
猫又は閉じかけていた目を重たそうにだるく開いて低い声で言う。
「いつからでしょう……。猫の姿で寝たほうが、目覚めがいいんです」
「なんでだろうな」
「これが私の本来の姿だからでしょうか……」
2拍ほど間を置いて。
「本来の姿ねえ……」
その言葉をつぶやいてから、人間がふっ、と笑った。目線は猫又のはるか背後。闇に溶けている、その空間。
「じゃああの者の姿は、人間本来の姿だと思うか?」
「………………」
返事はなかった。
猫又は目を深く閉じ、まるで子猫のように眠りについていた。
「本当に、眠りとは突然くるものだな。……まあいい……すべての生き物に与えられた、死の練習だ」
人間はどこか面倒くさそうに立ち上がり、三歩ほど歩いた。ふと立ち止まり、猫又のしっぽを踏みつけないように、それをうまくまたいだ。
そして、すっかり闇の中に溶け込んでいる、横たわった少年の姿を見下ろす。
「普段の態度や言葉遣いはいたってまじめなんだがな・・・」
人間は横に投げ出されている毛布をきれいに広げ、少年にかけた。少年はそんな行為にも気がつかず、大きないびきをあげて寝ている。
よくこの音の中で寝れるもんだ、と猫又を見る。いったいどんな夢を見ているのか。
人間は束ねていた髪をほどいてろうそくの火に息を吹きかけ、空間を闇へと還した。

遠い空
でも手を伸ばせば届くような空
この森の木々から見える、その空が好き。
縁側に座って、ずっとその空を見ているのが好き。
そして、空の色とまっすぐに伸びる木々の葉っぱの色を交互に見るのが好き。
まぶしい太陽の光をあびる花たちを見るのも好き。

「またそこに座ってるわ、あのこったら」
「何か面白いものでも見えるのかな?」
「こっちでスイカを切ったぞ、食べなさい」
「わあー、おいしそっ食べないんならあたしが全部、たべちゃうよ」
え? スイカ?
大変だ、スイカだけは譲れないぞ
「僕の分もあるー? おじいちゃん」
そういって振り返ると、そこには和んだ風景が広がっていた。おじいちゃんと呼ばれたその人は、やさしく笑っていた。
「ほら、食べなさい」
僕は急いで駆け寄り、しわしわの手からそのスイカを受け取った。
みずみずしいその赤い色にたまらなくなってかぶりつく。
シャリ、とした気持ちのいい音が口の中に広がった。
「おいしい!」
僕のその言葉に、おじいちゃんはふふん、と胸を反って言った。
「私の畑でとれたのだから、旨くて当然だ」
「あらあら、お父さんったら〜」
「ははは、たしかにこりゃうまいですな」
「ねーねー、うちでもスイカつくろうよ」
「かっちゃんのスイカは最高なんだぞー!」
「うんうん、ほんと、そのとおり」
「二人して、スイカを作りたいなんていうのね?」
「うちの小さい庭じゃあスイカ作りはムリだなあ、ははは」
「みんな毎日かっちゃんの家に来ればいいよ!」
「そうだよ、こようよ」
「ん?とうしたの、どこにこようよ、なの?」
「そうだっ、みんな、ここに住めばいいよーいいでしょ、かっちゃん」
「うんうん、そうだね、そうしよう」
がむしゃらにかぶりつきながら喋る僕を、ふと、お姉ちゃんが不思議そうな目で見た。
「透、あんた言ってることがめちゃめちゃーわけわかんないー」
「なにいってるの、おねーちゃん」
「もともとへんな子だからいいけどー」
ああ、そういえば僕って変な子だったな。周りとはちょっと違う、男の子。
母さんも父さんもじいちゃんもそれでいいと言っていたけど。
あ、あと、もう一人
「とーるっ」

それは、遠い昔話みたいな記憶。
覚えているのか忘れてしまったのか、夢のようにあいまいなまま。
過去まで辿っていかなければ、現在の謎は解けぬまま。

「とーる、とーるっていうんだね、きみ」
「うん、ぼく、透っていうよ、君は?」
赤い着物に黄色いリボン。夏なのに暑そうだなあ……。
その子は不思議そうに首をかしげた。
「とうる?とおる?うーん……とーるでいい?」
「え、ああっ。透でいいよ」
「うーん」
「君の名前はなんていうの?」
「とーる、とーるにしよう。とーる、あそぼう」
「うん、あそぶ」

日差しの強い夏の昼。
僕は、その名前も知らない少女と出会う。

その話をお母さんも、お父さんも、お姉ちゃんも知らない。
僕だけに見える、その子の姿。
ただ、ぼくたちをまぶしそうに見ている、おじいちゃんだけは、きっと知っていた。
その子とは、夏休みの間、来る日も来る日も遊んだ。
楽しかった。
学校に友達はいなかった。みんな僕のことを「変な子」という。だれも近寄らなかった。
ねえ、僕のどこがそんなにおかしいのだろう?
木に登って空ばっかり見ているから?
それじゃだめなのかな。

「とーる、またそらみてるー」
「うん、空見るー」
その子はしばらく黙ってそばに立っていたが、やがて僕の横にぺたんと座った。
「じゃああたしも見るー」
「うん」
幸せな時間だった。

夏休みが終わった。
学校から出された日記の宿題には、毎日空を見ていたことばかりをかいた。
お母さんやお父さんが先生と真剣な顔でお話しているのを何度か見た。
日記を学校の子に見られた。
その子たちは僕のうわさをして笑っていた。

あれ
どうして笑われているんだろう。
あの子は笑わなかったのに

僕が考え込んでいると、クラスの中でも一番可愛いといわれている子が僕に近づいてきた。そしてこう言った。

「島村くんって、どんな子が好き?」
「好き?」
「髪の毛は長いほうが良い? トマトは食べられたほうが良い?」
赤いトマトの色を思い浮かべると、あのスイカの色が脳裏によみがえってくるのがわかった。
「僕は、スイカが好き」
「スイカね、わかった。食べてあげるから、私をかのじょにしない?」
「かのじょ?」
その言葉は、初めて聞く、よくわからない言葉。
「かのじょってなに?」
その言葉に、まわりの男の子や女の子たちが笑った。
知らないことを聞くのはおかしいことなのかな?
「かのじょってね、ずっといっしょにいたいと思うひとがなれるのよ」
「ずっといっしょ?」
「島村くんは、私のかれしにならない?」
「いっしょになにするの?」
「そうね、おかいものいったりデートしたりするの。島村くん、かっこいいから私たちおそろいよ」
「そんなの、ぼくはしらないよ」
「じゃあなにするの?」
少し考えてから僕は言った。
「スイカ食べながら空見たりする」
すると、またまわりの男の子や女の子たちが笑った。
みんな何を見て笑ってるのかな。
僕に話しかけてきた女の子はなんだか急に怒ったように言った。
「そんなに空ばっかり見るのがすきなのね。空とつきあえば?」
そうして、くるりと僕に背を向けて、教室の外に出て行ってしまった。
なんで怒ってしまったんだろう。
僕はうつむいて机の形を指でなぞった。
誰も僕に話しかけなくなった。

 

しばらくして、僕はまたおじいちゃんの家に行けることになった。
でこぼこの道を車で走りながら、僕はあの子に会えることを期待していた。

その子はやっぱり、そこにいた。
「いよっス、とーる」
その子は僕の手をとって、森の奥へ走り出した。
「どこに行くの?」
「いいとこがあるんだよっ。いこういこう」
森の中はまるで迷路。
背の高い木々が僕らを見下ろして「ゴールまでたどり着けるかな?」とささやいている。
手を引いてどんどん進んでいくその子は、とても楽しそうだった。
そして、僕も楽しかった。
たどりついたのは小さな神社だった。
「人、いないのかな」
僕が尋ねると、その子は笑って言った。
「ここなら、とーるの好きなそらがいっぱい見れるよ」
「え?」
上を見ると、そこには真っ青で広い空。
そして、隣には少し息を切らしてほほを赤く染めた女の子。
こみ上げるものがあった。
「かのじょ」
「かのじょ?」
「ずっといっしょにいたいって思うんだけど、かのじょになれるかな?」
「とーる、かのじょになるの?」
「ううん、僕じゃなくて、きみが」
「あたしをかのじょにするの?」
「なれるかな?」
女の子はくすっ、と笑った。
「それ、十年後もおぼえててくれるかな」
「わかんない」
「覚えててくれないとかのじょになれなーい」
「わかった、じゃあ忘れない」
「じゃあそういうことにしておこー」
隣の女の子は、いっぱいの笑顔で僕にそういった。
忘れるはずがない。
だってこれからも僕は君に会いに行く。
忘れるはずがない。

目の前を何年もの月日が流れていった。
「変な子」だった自分はだれの記憶にも残っていないだろう。
あれからたくさん勉強をした俺を笑う人はいなくなった。
そして

空を見ることもなくなった。

 

 

「まぶし……」

光のにおいがした。
あまりにまぶしくて目を開けられない。
手で少し視界を遮り、ゆっくり目を開いた。
「透様、お目覚めですねっ」
「……えっと……・」

猫だ……

「透、おはよう。ずいぶん寝相が……」
「紫蘇さん?」
「いかにも、私は紫蘇だ」
「透様、朝ごはんはいかがですか? 食べられますか?」
「あ、はい、食べますが……」

猫なんですけど……

「紫蘇さん、いつからいたんですか?」
「おとといくらいからいたよ」

猫(正しくは猫又)から茶碗とお箸を受け取る。
ふっくらしたご飯と、いろんな山の幸が入ったお味噌汁。
「透様、朝ごはんは私のお手製です」
「秋乃、その前に姿が……」
「あ、そうでした、すっかりいつもどおりの姿で……すみません、透様」
「大丈夫です」
内心びっくりした。秋乃さんが猫又だったこと忘れてた……
「まあ、試練も無事終わったことだし、少しして落ち着いたら一緒に帰ろう。
せっかくこうして迎えにきたんだから」
「はあ……」

って。

「試練が終わった?」
「もう試練は終わったはずだ。三つの記憶を見ただろう?」
「……いえ、俺は二つの記憶しか……」

もしかして、三つ目の記憶って

「透様自身の記憶ですよ」
「秋乃さん……」
「少し強引ですが、すべてを話すためには透様があんず様とのことを思い出さなくてはいけなかったのです。
おじい様のお気持ちもわかってくださいね」
「……あんずとの記憶」
「って、秋乃、だから猫又の姿で喋られるとなかなか落ち着かないよ、こっちは」
「戻らないとだめですかぁ?」

空……

「だめ」
「お姉さま、厳しいです」

ゆっくり窓の外を見る。
変わらぬ空に、自分の心を映して、問いかける。
答えはまだ、出ないまま。


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