座敷童子

第二十三話「 忘れたふりと、忘れたこと 」

両手を伸ばして、私は願う。
すべてのものを呼び寄せ、集わせたその場所が永遠となるように。
そして、その場所では微笑みが耐えることのないように。
かわるがわる訪れる季節の中に、人々がたくさんの思いを抱えて生きてゆく。
その思いに喜び、惑い、愛し、悲しんだとしても、私は願う。
たとえこの身が天に受け入れられることなくとも。

鳥居から数歩離れた場所で俺と紫蘇さんは足を止めた。

「では、そろそろ行くよ」

秋乃さんは人間の姿をしてそこに立っていた。
いつものように優しい表情で俺たちを見ていた。
「はい、お二人とも、気をつけてお帰りください」

そして、かわいらしくぺこりと頭を下げた。
その刹那、木がざわざわと音を立てて動き始めた。
その様子は秋乃さんの意思によるものであるかのようだった。
やがて木のざわめきが静けさに還り、あたりはいつもの静かな山に姿を戻した。

紫蘇さんは、その静寂を待っていたかのように、俺に言った。

「行こう」

長い髪を揺らし、鳥居のほうに歩き出す。
ためらいも躊躇もないまっすぐな歩き方。自分もそのあとに続こうと体を鳥居に向けたそのとき。

「透さま」

秋乃さんが名前を呼んだ。
覚悟はできている。ここで名前を呼ばれることは、とうに知っていた。

「最後にお聞きしてもいいですか?」

そして、俺の返事を待たずに

「透様にとってこの試練は、無益なものでしたか?」

その答えも、とうに決まっていた。
俺はいつのまにか足を止めていた紫蘇さんの背中を見ながら、秋乃さんのほうは振り返らずに答えた。

「それはまだ答えられません」
「そうですか・・・」

「だけど、自分の大切なものは自分で守れます」

「はい、透様」

秋乃さんの声が、少し明るくなった気がした。

空を見上げる。

大きく息を吸って、吐いて、そして決意に小さくうなずいて、前へ進んだ。

鳥居の向こうの世界へ、またかえる。

その先に見えるものが、闇であっても、光であっても。

 

―――――かえり道ですか?元来た道を戻るだけですよ。

今朝、秋乃さんはそう言っていた。いや、確かにそうかもしれないけど…と言いかけて俺は口をつぐんだ。
紫蘇さんの「お前なにをいう気だ?」という目線と、聞いても「ですよねえ」と答えそうな秋乃さんの表情を見たからだった。
来た道を戻るだけか…でも、その来た道すら知らない場合はどうすれば…と言いかけて俺はまた口をつぐんだ。
紫蘇さんの「頭の悪い質問はよせ」という目線と、聞いても「帰る場所があれば帰れます」とでも言いそうな秋乃さんの表情を見たからだった。

ここに来た時みたいに目をつぶり、そのまま鳥居をくぐる。頭の中が真っ白になった。
今までのことをすべて忘れてしまうのではないかという恐怖を感じるほどの白さ。


忘れてしまったこと。

忘れたふりをしていること。

忘れたことに気づかないこと。

忘れたいこと。

そして、忘れてはならないこと。

一気にたくさんの思いが押し寄せる。一人では抱えきれない思いたち。
それもそのはず、一人で作ってきたわけではないのだから。必ず誰かと一緒につくってきたものなのだ。

ああ、そっか…

ゆっくりと目を開ける。

瞳に映し出されたのは、すっかり見慣れた森の中の景色。なんだか少しほっとした気持ちになって大きく息を吸い込んだ。
そして、顔をあげると紫蘇さんが俺のほうを向いてただ立っていた。いつもどおりの凛々しさの中に愁いをふくませた表情。

「透」
「え?」

紫蘇さんは静かな声で名前を呼び、俺の目をじっと見た。そして、目線をそらすタイミングを失った俺も、そのまま紫蘇さんの目を見ているしかなかった。

そしてしばらくお互いに見詰め合ったまま、数秒が流れた。紫蘇さんはなにか深く考えて見ているようだったが、
女の人と見詰め合うだなんて、正直言ってこっちは心臓のばくばくが止まらなかった。

やがて、紫蘇さんが口を開いた。

「私とお前はいとこだ」
「はい」
「つまり私の父は、お前の伯父ということだ」
「……そうですね」
「親族だ。最低限の礼儀というものもあるな?」
「あ、あの紫蘇さん、何が…」

迫るような口調で同意を求められても何がなんだか。俺は思わずストップをかけた。
紫蘇さんは少し不満そうな顔をしていたが、やがて目線をはずし、一瞬だけ遠くを見た。そして、

「明後日、迎えに行く」

そう一言だけ残し、すばやく身を翻して足早に森の奥へと走り去ってしまった。
目の前にはただ余韻のように、風に揺れる草木の影。見上げれば、ばらばらに散った雲がゆっくりとどこかに漂っているところ。
行きつく場所がどこかも知らないで、ただ流れて行くだけ。

「帰るか・・・」

あんずや、じいちゃん、さらさんや時子さん達のいる場所へ。
心にたまったまま流れることができずにいる淀みも、あの家に帰れば少しは流れ出していきそうなそんな感じがする。
一歩足を前に踏み出すと、足元に落ちていた葉がどこからか吹いてきた風にふわりと飛ばされ、空気に舞い上がり、しばらくたゆとうていた。
そして、また音も立てずに地面へと戻っていった。
俺は前を向き、歩くべき方向を定めた。また一歩、踏み出す。

そこで大事なことに気づき、ふと足を止める。

―――――あれ?

帰り道、知らないぞ俺。

えーと・・・このまままっすぐ歩いたら森の出口にたどり着くのだろうか。

しかし、むやみやたらに歩くのはとっても危険そうだ。紫蘇さんを追いかけてももう遅いし……野生のカンとやらを頼りにして歩くにはちょっと危険すぎる。

そういえば紫蘇さんは帰り道を知っているようだった。もしかしたら野生のカンかもしれないが・・・

あっ!

「明後日迎えに行く」って言っていたけど、もしかして紫蘇さんも道がわからなくなったんだろうか…
そこで俺一人をここに置いて助けを求めに行った。救助を求めて再びこの場所に戻ってくるのは明後日になる…。
二日間、この何もなさそうな森で俺はどんなサバイバル生活をすごせば?

あんずの遊び相手ですらへとへとになるというのに、そんなの考えただけでぞっとする。木の実を探すなんてちょっと原始的ではあるがやってみるか!?


「やっぱり秋乃さんに道案内を頼むか…」

ちょっと間抜けだ俺・・・・・と、そんなことを思いながらくるりと後ろを振り向く。
そのとたん、どんっと鈍い音がして俺は何かに思いっきり体をぶつけた。

「あらあら」

「!!??!」

柔らかい物腰、薄紫の着物、青い髪に青い瞳…

それは、三日ぶりだけどとても久しぶりに見る顔だった。

「あらあ」

「さ、さらさん!」

「はい、私です…きゃ」

安堵と気が抜けたような不思議な感覚に身を支配されたのか、さらさんの顔を見た刹那、俺は何も考えずその体に抱きついていた。
離れていたのは短い間なのに、とても懐かしい顔。そして、声。たまらなく嬉しかった。
珍しくさらさんは驚いたような声を出してしばらく体も固まっていたが、やがて俺の頭にぽんっ、と手をゆっくり乗せて言った。

「透さん、おかえりなさい」

「はい…はい!」

って、ん?

我に帰り、自分が今何をしているか考えた。

俺の目に映るのは森の木々達。俺の足は地面にしっかりついて立っている。

そして、俺の手は、

「うわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわっ」

そして、自らの行動に驚き後悔した。母さんにも、佐保姉にも、もちろん他の女の人にだってしたことないのに、なんてことを!?
さらさんの背中に回していた手をほどき、10メートル先まで一気に後ずさりした。
そして10メートル先でさらさんは俺に手を振って言った。


「透さんどうしたんですかー?」
「あわっ、いやっ、すいませんっ、あれっ、俺ってばいま、なに・・・なに・・・なに・・・なにし・・・」
「うふふ」

う、うわ、さらさん笑ってる・・・笑顔なだけに、よけい気まずい・・・

いつもは蟻、蟻、蟻ともう蟻のことだけで頭がいっぱいなさらさんだけど、やっぱり女の子だし、
黙っていればお嬢様っぽいし、なんていうか箱入り娘っぽいと言うか妙に男性なれしていない感じなのに、
でも100年以上生きてたら慣れてるか、ああーどっちだーっ?

「大丈夫ですよ、透さんたらー」
「いや、俺が大丈夫じゃないんです」
「どうしたんですか、久しぶりに会ったのですから、もっとくっついていいんですよ」

そう言ってさらさんは、またうふふふ、と笑った。


「な、なに言ってるんですかっ」
「でもあまりくっつくと潰れちゃいますからね」
「そ、そこまで力は」
「蟻さんが」

変わってないなあ・・・さらさん・・・
「ところで透さん」
「はい」

さらさんには突然の抱擁攻撃なんて全然メじゃないらしい。その様子に安心した俺は、何事もなかったかのように10メートル先に向かって歩き出した。
「ここに何しに来たのですか?」

どてーーーっ
思いっきり前につんのめり、そのまま地面に顔面から直撃した。

「透さんったら、けっこう大胆なずっこけ方するんですね」
「さらさん冗談きついです」
「そうですか?うふふ」
「はあ・・・」
「わかってますよ、透さん」

さらさんは笑って、地面に突っ伏したままの俺にその白く細い手を差し伸べた。


俺と紫蘇さんが鳥居をくぐって飛ばされたのはじいちゃんの家がある、木隠の山だった。
なぜちゃんとこの場所に帰ってこれたのか、それはわからなかった。
ただ、秋乃さんの「元来た道を戻るだけ」という言葉の本当の意味を知った気がした。


家につき、さらさんが扉の前で「お先にどうぞ」と俺に促した。
「いやあ、みんな元気してるかなあ」という言葉の最初の「あ」を発音する前にあんずが飛んできて突然タックルされた。

「いよーーーっス、とーーーるっ!!」
「ごふぅっ!」
「わーい決まったー!」
「こら、あんず、人に突然タックルするな」
「あら、透くんかえってきたの?って、いないけど」
「時子さん、踏んでます」
「さら、わざと透を先に家に入れただろう」
「さらもおねえちゃんもヒドイなあー」
「どっちが」「どっちがですか?」

珍しい二人のハーモニーが耳に入ってきた。
やがて「大丈夫か?」と尋ねるじいちゃんの顔を薄目でぼんやりと見て、小さく返事をし、俺はそのまま玄関で気を失ってしまった。

 


真っ黒な空間。闇の中。少女はまだ迷い続けていた。吸い込まれたら二度と帰れない手の届くその場所。
黙って動かずに立っていても、気づけば肩がその暗黒の空間に触れてしまいそうなほどの距離。

少女はおびえていた。

手に握り締めた弓さえも力の無き物にその姿を変える。畏怖のためか、手が震えていた。

「私には・・・」

決断を迫られ、額に汗を浮かべる。

そして、少女は震える手で、ゆっくりと弓矢をひいた。

明るい朝日の光に、閉じていた目が意識せずに開いた。
いやな夢を見た。目を開けても体がなかなか動こうとしなかった。

「そうだ、俺は・・・」

あんずにタックルをくらって、倒れて、そのまま意識を失ったんだ。

あんずに・・・

あんずにタックルをくらって・・・

あんず!?

「いよーーーーーーーーーーーーーーーっ」

「ス」「うをっ!」
身を縮めて自らベッドの下へと転がり落ち、その上をあんずが飛んでいく。
そしてあんずは思いっきりベッドの横の壁に激突した。

「いった〜〜ぁぁぁぁ」
「お、おはよう、あんず」
「いたいよ、とーるー」
「何度も同じ手にひっかかるかっ」
「あたしはただ朝の挨拶を」
「危険な挨拶をどうも・・・目が覚めたよ」

俺は床に両手をついて立ち上がり、ベッドの上で顔を両手で覆っているあんずを見た。

「あのさ」
「んぁ〜」
「そういえば言ってなかったんだけど」
「なにさ」

両手で覆っている指の隙間から、ちょっとふくれっ面をしたあんずの表情が見える。思わず少しだけ笑い、俺は言った。

「ただいま、あんず」

そして、少女は、笑い返して言った。

「おかえり、とーるっ」

顔を洗い居間に入ると、すでに桂じいちゃんがいつもの席に座り、新聞を広げてお茶を飲んでいた。
時子さんは、やっぱりいつもと同じようにキッチンに立って朝食の準備をしていた。

「おはようございます」

声に反応してじいちゃんが新聞をずらし、時子さんが振り向いて俺に返事をする。

「おお、おはよう、透」
「透くん、おはよっ」
「あー・・・と、昨日は帰ってきて早々倒れちゃってごめんなさい」
「まああれはね、あんずが悪いから」
「なんだとーっ」

戸がすごい勢いで開き、あんずがドカドカと入ってくる。

「あんず、おはよう」

「うわさをすればなんとやら、出たわね、妖怪タックル童子」
「なにそれーっ失礼!」
「あの跳躍力と破壊力は人間の仕業じゃないものねっ」
「おねーちゃんこそその胸は妖怪なみだねっ」
「なっ、アンタ思春期の青年の前でよくそんなこと言えるわねっ」
「思春期の青年?」

すると、時子さんが俺のほうをじーっと見て言った。

「透君がどうしても見たいって言うなら、昼でも夜でも構わないけど」
「んな」
「おねーちゃん、ふけつー!」
「アンタが振ったんでしょ、自分のネタには責任持ちなさいよっ」
「とーるはおねーちゃんの疲れた胸なんかに興味ないもんねっ」
「ちょ」
「勝手になに言ってんのよ、このガキ」
「失敬だぞーっ」
「やーい、ぺったんこー!」

ますます喧嘩がエスカレートしていく時子とあんずをとめられるのは、もうこの人しかいなかった。
「えーい、やめんかー!」
それは一瞬の出来事だった。
桂じいちゃんは突然持っていた新聞をまっぷたつに破り、右側を丸め、左側を丸め、それぞれの新聞の玉を二人の頭めがけて飛ばした。

「洗濯板!貧乳!」
「子供だもーん子供だもーん、これからだもーん」
「あーっはははつよがぶべっ」「ぎゃうっ」

見事に新聞玉は喧嘩真っ最中の二人にヒットした。
二人はあまりの衝撃に言葉を失っていた。

「ったく・・・朝ごはんの前にギャーギャー言うんじゃない」
「はい」「はい」

時子さんは新聞玉を拾って割烹着のポケットに突っ込み、朝食の支度へと戻っていった。
あんずはなにやらブツブツと文句を言っていたが、桂じいちゃんのするどい視線を受けておとなしく食卓についた。
やがて、何も知らないさらさんが「おはようございます〜」といいながらトタトタと居間に入ってきた。そして足元に転がっていた物を拾い上げて言った。

「あら、新聞が丸まって落ちてますよ」
「あ、捨てていいと思います」
「いいんですか?中には何も入ってないんですね」
「何も入っていませんよ…」
「そうーれ」
「あいた」
「うふふ、透さんに当たりました」
「っていうか今のは当てたんですよね…」
「ゴミ箱めがけて投げたつもりだったのですが・・・」
「ゴミ箱はさらさんの後ろですっ」

俺はさらさんの後ろのゴミ箱を指差した。さらさんは俺の顔とゴミ箱を交互にきょろきょろと見ながら言った。

「…不思議です」
「何がですか?」
「透さんがゴミ箱に・・・ゴミ箱が透さんに…あら」
「透さんは透さんです!ゴミ箱さんはゴミ箱さんです!」
「…」
「わかりましたか?」
「透さん、可愛いv」
「うう」


結局、俺がその新聞玉をゴミ箱に投げて捨てる。そのやり取りを見ていたあんずが、けたけたと笑っていた。
じいちゃんは新聞を失い、手持ち無沙汰で少し悲しそうな表情をしていた。
そして、朝食がテーブルの上に並べられ、いつものように賑やかな朝食の時間となった。

最初に時子さんが食べ終え、食器を下げて洗い始める。次にじいちゃんが食べ終え、さらさんが食べ終え、
俺が食べ終え、あんずだけが最後までご飯をほおばっていた。
早く食べちゃいなさいよ、という時子さんのせかす声も聞こえないらしく、一生懸命味わって食べているようだった。

「あんずちゃん、おかわりは?」
「もう、ごちそうさまあ」
「食べすぎじゃないかな…あんず」
「だっておいしいんだもーん」

そう言ってあんずは席からぴょこんと降り、ちょこちょこ歩いて、流しにいる時子に背伸びをしながら茶碗を渡した。


「ごちそうさまー」
「はい、よくできました」

そして同じころ、じいちゃんがふと、思い出したように俺に言った。


「透、明日のことについて話があるから、あとで奥の部屋にこい」
「奥の部屋?わかった」
「うむ」

じいちゃんはゆっくり立ち上がり、居間の引き戸を開けてどこかに立ち去って行った。
残された何もすることがなさそうな俺とあんずとさらさんが、目線を交差させてぼーっとしている。


「あ」

ふと、流しで茶碗を洗っていた時子さんが、クルリと身を翻し、俺達のほうを向いて一声あげた。
「あんたたちさ、暇そうね」

俺らは、えっ、という顔をして時子さんを見た。そして、時子さん対暇人ズの間に妙な空気が流れ始めた。

「暇じゃないですよ」
「はい、忙しいんですよv」
「・・・・・・(硬直)」
「あんずくん」


一人、固まっていたあんずが時子にビッと指をさされた。

「あんずくん、お返事は」
「はひ」
「君は食べるのが人の三倍くらい遅かったから時子姉さんの手伝いをしようね」

「遅いのはあたしのせいじゃないもーん」
「じゃあ誰のせいよ」
「とーるくーん」

あんずが俺を指差して高らかに言った。

「んなっ、なんで俺なんだ、あんず」
「とーるくんがさらさんと変なコントするからでーす」
「ほほう、そういえば新聞玉がどうとか言ってたわねえ」
「時子さんっ、あの新聞玉を捨てたのはあんずですよっ、これはあんずに問題ありですよ」
「ふむ、やはりあんずが手伝うべきだな」
「うわーんっ、ひどいー」
「うははは、がんばれー!」
「あんずたん、がんばれなのーふぁいと、だよっ」

聞きなれぬ声にふと、いぶかしげな目をしてさらさんを見る。

「さらさん、今の」
「ギャルゲーっぽく言ってみました」
「いや…そうですか…」


やがてさらさんは「はにゃー」だとか「がお…」だとか「ふにゅーん」だとか言いながら庭のほうにかけて行った。

(また蟻の世話かな・・・)

そんなさらさんを横目で見ながら、俺はじいちゃんの待つ奥の部屋へと向かった。
明日のこと・・・そういえば紫蘇さんも昨日、『明後日迎えに行く』と言っていた。きっとそれに関連することなんだろう。
二人の様子から、決して楽しいこと話は期待していなかった。

しかも、三つの試験を終えた二日後だ。何か関係があるに違いなかった。そして、それに対する覚悟は――――

朝でも昼でも夜でも、同じくらいの薄い光が舞い込む場所に、俺はいた。
話って何?と聞く前にじいちゃんは言った。

「あんずは子供じゃない」

奥の部屋で正座して待っていた桂じいちゃんから語られる話は、そんな言葉から始まった。

覚悟は、できていた。

「私はその日、透子とともに夕飯の食材を探しに森の奥へ足を踏み入れていた。
ああ…透子と言うのは知っているとは思うがお前の実祖母だ。私の妻だな。
食料がだいぶ集まった夕暮れ、木の陰にちょこんと座りこんでいた二つの人影があった。
こんなところに人が迷い込んでくるなんて珍しいと思い、近寄ってみると、それは少女だった。

…うむ、予想はついているだろうが、それがあんずと時子だ。

私達の顔を見て、驚いたのか、それとも怯えていたのか、その場から動かないまま、じっとこっちをみていた。
二人の関係は服装からして、なんとなく姉妹ではないような気がした。

「どうした?こんなところで」
「かくれんぼかしら」

無論、透子は二人を和ませるためにそう言ったのだろう。二人の少女は首を横に振った。

「怖くないわ、迷ったの?」

まだ警戒しているのか二人は手をつないだまま、動こうとしない。
しかし、だからといってこの場所にほおっておくのは人としての優しさに欠ける行為だった。
すると、二人の少女のうち、背の高いほうが言葉を漏らした。


「助けて…助けてください」

それにあわせて背の低いほうも言葉を吐き出した。


「お願いします、ここ、怖い」

私達夫婦は顔を見合わせ、無言でうなづいた。少女達の事情を聞くために家に招くことにしたのだ。
二人はよほどお腹が空いていたらしく棚から引っ張り出してきたお菓子を夢中で食べていた。

そのあとも色んな料理を透子が作ると、どれも美味しそうに食べていたよ。
二人の幸せそうな表情を見ていると、この少女達につきまとう事情など私達は知らなくていいと感じ始めていた。
そして、私達の三人の子供達も、見ず知らずの二人の少女と遊んだり色んな話をしたりしていた。

事情など知らなくてもいいと思っていた。だが…それから5年たった、あれは冬の日だったかな、
時子が自分の身元を話し始めたのだ。自分の生まれた家は裕福だということ、そして、そこから逃げ出すまでの話、名前のこと…

透も、知っているだろう?

すべてを話した後、時子は「いつまでもここにはいられない、迷惑がかかる。いつか私の家の家臣達が迎えにくる」と言った。肩が震えていたよ。
だから私は無理してここから出ようとすることはない、いつまでもこの家にいればいいと言った。
それには、他の子供達も、そして、透子も賛成だった。あんずも、そうしてほしいと願っていたはずだ。
まあ、その後時子は透子の手伝いをしたりして家事のすべてを身につけていった。
あ、あいつが激辛もの好きなのは透子譲りだ。辛いものを始めて口にした時、
お嬢様だった時子は「こんなものたべたことがない」と言って涙を流していたよ、辛さのあまりに。

しかし、問題はあんずだった。

あんずは自分の身元や親のことを語ろうとはしなかった。記憶喪失なのか、ただ話したくないだけなのか、
それもわからなかったな。でも、健康だった。雪の降る庭をシャツ一枚で歩いていたりしたよ。風邪一つひかなかった。

だが―――

あんずは定期的な発作があった。熱がどんどん上がり、当時うちにあった体温計を振り切るほどの高熱を出した。
そのたびに私らは木隠秘伝の解熱薬を調合した。
それでもいくらかは効くのだが、またすぐに熱は上がっていく。その薬というのも、大量の薬草を使う割には採れる成分が非常に微々たる物であった。
色んな方法を試みたが、即効性のあるものはなかった。しかしだな、その熱はいつも四日目にピークをむかえ、
五日目の朝にはけろりと治って元気に走り回れるほどに回復するのだ。
いつも決まってそうだった。だから私達はあらゆる手を使って四日間、あんずを守り続けていたのだ。

そんなある日だった。あんずは夕食の途中、突然苦しみ出し、その場に倒れた。
いつもの発作だったよ。私達は発作の対処にはもう慣れていた。あんずも「またぁっ?」と少し笑っていたくらいだったしな。
いつものように秘伝の薬を作り、皆が交替であんずの看病をした。
透子は「五日目になったら、みんなでおっきなケーキでも作りましょうか」とあんずに話していたらしい。そう、誰もがその日を待っていたはずだった。
しかしな…あんずの熱は五日目になっても下がることがなかった。
それどころか、どれがピークかわからないくらい、毎晩毎晩苦しみ続けていた。

私達は誰もが最悪の予感を胸に抱えることになってしまった。
覚悟をしていた。
その夜は、透子があんずの看病にあたる日だった。
夜も更けた時刻、私は心配になり、あんずの寝ている部屋の前で足を止めた。
中から話し声がするのだ。あんずはとても声を出せる状況ではなかった。息をするのさえ困難だというのに。

耳を澄まして聞いていると、それは透子の子守唄だった。
やわらかく繊細なその歌声に、あんずの激しい息も、だんだんと鎮まっていくのがわかった。
やがて、歌声がぷつりとやみ、ぼそぼそと何かを話す声がした。

「あ…ずちゃ…」

その言葉達は途切れ途切れでよく聞こえなかった。ただ、そのとき透子が泣いていたことだけはわかった。
泣き声のところどころに挟み込まれた言葉は、やがて一つの文となって私の頭に流れてくる。

しかし、それを理解し、部屋の中に足を踏み入れた時はすでに遅かった。遅すぎた。

 

「あんずちゃん、私が助けてあげましょう。苦しいかもしれない。
これからの未来であなたに重い運命を背負わせてしまうかもしれない。
だけど、ここであなたを失うわけにはいかない・・・・」


部屋には赤黒く染まった畳の上に倒れている透子と、目をきょとんとさせて布団から顔を出す、あんずだけだった。
幼い少女には、何がおきたかわからず、ただ私を見ていることしかできなかったのだろう。
あのときのあんずの瞳とその光景は、今でも忘れることができずにいるよ。


そう、透子はあんずに自分の細胞を与えた。
いったいどんな手法を使ったのか、私にもわからない。ただ、透子にも木隠の血がほんの少しだけ流れていることは確かだ。
透の父さんにも、真樹から少しだけ木隠の血が流れているはずだ。
その血が枝のように少しずつ広がるのが木隠一族なのだよ、透。もちろん、少量では若返りなどということはおきないがね。

しかし、そのほんの少しの木隠の血が、あんずにどんな運命をたどらせるか、透子は知っていたのだろう。
やがてあんずの熱は下がり、発作も止まり、それ以後まったくおきることがなくなった。

――――引き換えに、あんずは時を失った。

何度月日がめぐり、四季が訪れても、あんずはずっとあのままの姿で今も昔も生き続けている。
真樹が結婚し、透を産んでも、楸が神社に隠れ、その身を滅ぼすことになっても、あんずは変わらない姿のままだった。
それは、あんずの体に元から流れていた血と、木隠の血が混ざったことによる、なんらかの異常なのだ。私らではどうすることもできない。

それにな…透子…母を失った者はひどく打ちひしがれていた。
真樹はあんずが母さんの分まで生きてくれることを祈り、あんずのよき理解者になってくれた。
時子もあんずは自分の妹同然の存在だったから、透子の死を嘆きながらも、あんずと共に生きていく決心をしてくれた。

だが、長男の楸(ひさぎ)はあんずを恨んでいたよ。

「お前のせいで母さんは死んだ」「人殺し」と、毎日あんずに対して言っていた。
そして、あんずをかばう真樹や時子にも「なんでお前達は平気な顔してそいつに構えるんだ」と非難し、やがて楸は家の中で孤立していった。

あのときの家は、どんな季節になっても冬の木立のようにすさんでいたな。
楸はまもなく家を出て行った。誰が説得しても、戻る意思はないようだった。

しかし、木隠一族というものは地上で長く生活することができない。
いや…できなくはないのだが、人の多いところや車が多く通る場所には住めないのだ。
楸もそれをわかっていたのだろう。家を出たあの子は、森の奥の、さらに奥にある神社に住むことになったらしい。
まあ…ここからの話は秋乃から聞いているだろう…紫蘇はあまり楸の話しをしないからな。


だから、透、あんずの中身はお前よりもずっと大人だ。だけど、それを出せずに忘れたふりをして子供であろうとしている。
私は、それを咎めたり止めろといったりはしない。
だが、お前はどうなんだ。何か…大事なことを…お前も忘れかけていたはずだ。あんずにもお前にも、時子にも、そして、さらにも幸せになってほしいのだよ」


俺に悟られまいとしていたが、じいちゃんは、少し泣いていたようだった。
やがて、涙の乾くのを待っていたかのように、間をおいて、じいちゃんは言った。

「透、明日は楸の命日なのだ。墓参りだよ。紫蘇も行く。秋乃も行くだろう。今年はお前もこい」

いつもの凛々しい口調だった。
俺は、うん、と小さく返事をした。
じいちゃんもそれに対してうむ、と返事をした。


両手を伸ばして、私は願う。

心に封じたあの思い出が、いつか笑って話せるように。

そして、大事な人がいつも私を想ってくれるように。

一本の線が途切れることなく続く中で、私はまっすぐ歩いていく。

その足跡を、たくさんの人が見届けて、追い越していっても、私は願う。

たとえこの身が運命を困らせることになっても。

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